2015年1月1日木曜日

日本学術会議社会学委員会・社会学系コンソーシアム 共催シンポジウム「現代の雇用危機を考える」資料「無業社会の問題系——若年無業者とその支援の現状から」

日本学術会議社会学委員会・社会学系コンソーシアム 共催シンポジウム「現代の雇用危機を考える」の西田報告資料です。

シンポジウムは1月24日@日本学術会議大講堂(乃木坂) 、参加無料(事前申込不要)です。詳しくは、以下のリンクから(リンク先PDF)
http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/204-s-1-2.pdf

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「無業社会の問題系——若年無業者とその支援の現状から」
西田亮介(立命館大学)

メディアが、そして報道を通じて社会が若年世代の困窮に関心を持ち、若年無業に対する支援施策が政策として本格化したのは、2000年代半ば以後のことだった。1990年代後半の就職氷河期や、ニート、ひきこもりについての、時にセンセーショナルな取り上げ方は、誤解と偏見も生み出した。だが、若年世代の位置付けの変容を、社会に強く意識させることに貢献したともいえる。
 政策面では、関連4省庁の施策について横断的な検討が行われ、地域若者サポートステーションやジョブカフェなどを通した「ワンストップ」の支援態勢も整備されてきた。そこでは、企業やNPOなど、多様な主体の連携による支援が前提となっている。もちろん、その背景には、長い時間と視線が必要な若者支援と、数年のジョブ・ローテーションで担当者が移動していく公的機関の仕組みとの相性が悪く、また原則として直接個々人の支援を行わないという事情もある。
 このように日本でも無業という現象をメディアが取り上げ、支援政策が制度化され、その政策にもとづいて支援機関が支援を実施するようになってきた。言い換えれば、無業の社会化が生じてきた。
 筆者と若年無業者の支援を行う認定NPO法人育て上げネットの代表である工藤啓は、このような社会的状況を踏まえて、日本社会を「(人々は十分に認識していないものの)誰もが無業になる可能性をもち、一度無業になると抜け出しにくい社会」とみなし「無業社会」と呼んでいる(工藤啓・西田亮介,2014,『無業社会 働くことができない若者たちの未来』朝日新聞出版.)。無業という現象の当事者性に対する想像力の喚起を企図したものである。
 その背景には、無業に対する根強い自己責任論への危機意識がある。日本の労働市場と就労習慣、セーフティネットは、主に正規雇用を前提に構築されてきた。だが、1990年代以後の労働市場の流動性の向上や、景気変動によって、労働市場が変容する一方で、社会システムや就労習慣はその変化に十分に対応できずにいる。
 生存権の堅持が国家の主要な存在理由のひとつであり、その費用が社会的な負担である以上、論理的に考えれば、誰にとっても無業の適切な予防と支援が望ましいはずである。ところが誤解にもとづく自己責任論が、人々の連帯を分断し、政治に誤ったメッセージを提示することで、支援施策の拡充と改善を阻害している。
 このような社会状況を前提にしながら、解決のためのどのようなアプローチがありうるのだろうか。「包摂」「連続」「再挑戦」を手掛かりにした、若年無業者支援のための「寛容な社会モデル」の構築が必要であるというのが本報告の問題意識である。

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PDF版はこちら →
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