2013年11月12日火曜日

なぜ『若年無業者白書』の作成をお手伝いしたのか

先日、東京と大阪で刊行の記者会見を行った『若年無業者白書』だが、若年無業者の支援に取り組むNPO法人育て上げネットの工藤さんから聞くところによると、紙版はほぼ売り切れに近い状態のようだ。というわけで、今後は関心を持っていただいた方にはAmazon Kindle版を入手いただくほかなさそうだ(むろん、Kindleというメディアの、現状の日本における入手の容易さという課題は認識していて、工藤さんや育て上げネットさんとも善後策を検討しているところです)。

背景解説...というわけではないけれど、情報社会や情報化が政策に与える影響に関心をもっているぼくが、なぜ「若者」研究や雇用問題を解説することにしたかについて記してみたい。もともと工藤さんと知り合うことになったきっかけは、前職での社会起業家に関する調査だった。当時、日本の社会起業家(当事者のみなさんがどう呼ばれることを希望するかはさておくとして)の起業家精神醸成過程に強い関心を持っていたので、そのような調査を担当していた(現在もサブテーマとしての関心は継続中)。それがきっかけで工藤さんに、工藤さんや育て上げネットの事業というよりは、創業するに至った経緯や事業の着想についてインタビューさせていただいたのだった。

それ以後、さまざまなかたちで工藤さんとご一緒させていただくことがあったのだけど、育て上げネットの事業それ自体に対して強く興味を持つようになったのは、工藤さんの『大卒だって無職になる "はたらく"につまずく若者たち』という著作だった。育て上げネットが若年無業者をの支援を対象にしているということも、若年無業者の雇用についても少しは知っていたものの、自分がかかわるとは思っていなかった。ぼくたちの仕事は本質的に座学中心になりがちで、現場や具体的な提案には疎い。今風にいうなら「自分事」になりにくい、あるいは半ば意図的にしないようにしてさえいる、とでもいえばいいのだろうか。

しかし、工藤さんの著作は、複数の若年無業者の事例を取り上げながら、平易な言葉で最初のきっかけがきわめて偶発的に生じていることを紹介していた。共通するのは、いくつかの「不幸」が重複した結果、若年無業という状態に入り込んでしまうということだった。無業状態が継続することで、経済的な制約と、社会的な孤立状態に陥ってしまい、自力での状態の改善が困難らしいということも分かった。

工藤さんの本で、若年無業者の問題は、「他人事」ではなくなった。ぼく自身は、かろうじて大学教員だけれど、単年度契約の繰り返しの任期付き教員かつ物書きで、すでに5年ほど似たような条件で働いてきた。「現在」があるのは、せいぜいが偶発的な、もしくは幸運な結果に過ぎず、なにかボタンひとつ掛け違えていれば、あるいはこれからなにか失敗すれば十分に若年無業になりうる、そしてそうなってしまうと支援してくれる仕組みがこの社会には十分存在しているとはいえないということを直観したとでもいえばよいだろうか。

とはいえ、できることなど多くはない。当時はすぐさま書評を書いたり、工藤さんとの対談をアレンジしたくらいだった。
『大卒だって無職になる』を読んで、若年無業者の問題点を考えた:西田亮介 | 考えた | ジレンマ+ #nhk_jirenma http://dilemmaplus.nhk-book.co.jp/think/1801
【対談】若者の今――大卒でも無職になる時代に「働く」ということ http://www.d3b.jp/youth/843
本業というか、本質的なコミットメントができるとしたら、調査か研究だろうということで、いくつか以前にも工藤さんと民間の助成金に応募したものの、そのときはおそらくぼくの書類作成の力量が及ばず幾度も敗北を重ねることになってしまった。確かその辺りの経緯は『若年無業者白書』の最後に収録した対談に収録されているはずなので詳しくはそちらを読んでいただきたいけれど、最終的にクラウドファンディングでの資金調達を挑戦するということになったのだった。これがぼくの視点からみたときの、なぜ『若年無業者白書』の作成をお手伝いしたのか、という理由である。このほかに、工藤さんや育て上げネットと頻繁に打ち合わせを重ねるなかで、日本の社会システムについてのいくつかの気付きもあったのだけど、だんだん長くなってきてしまったのでそのあたりはまた次の機会にでも・・・



※ 『若年無業者白書』紙版(ただし、500部しか作成しておらず、製作コストの問題でおそらく増刷は困難です)→


『若年無業者白書』Kindle版→