2017年5月3日水曜日

2017年の問題としての朝日新聞社阪神支局襲撃事件

現在の朝日新聞社阪神支局(筆者撮影、撮影、掲載等許可済)

2017年5月3日が憲法施行から70年の年だということはよく知られているし、各社も大きく報じている。それに比べれば、30年前の今日、朝日新聞社阪神支局襲撃事件が起きたことは余り知られていない。散弾銃を持った男が朝日新聞社阪神支局を襲撃し、1人の記者が亡くなり、もう一人の記者も重傷を負っている。当時の一連の朝日新聞社等襲撃事件は警察庁の広域重要指定116号事件として未解決のまま時効を迎え、現在に至っている。概要について、必ずしも記述は正確ではないがWikipediaの当該項目と、朝日新聞社の2017年の特集ページをリンクしておく。
赤報隊事件
記者襲撃、あの夜から ― 阪神支局襲撃事件30年:朝日新聞デジタル
「歴史的な出来事ではないか」という印象を持った人も少なくないかもしれない。だが、そうではなく、これらは現代の日本社会の諸問題と密接に連関している。もっとも象徴的なインシデントとしては、近年5月3日の阪神支局に警察庁の犯人モンタージュをプリントしてきたTシャツを着用し、モデルガンを持って威圧する集団が集っていることだろう。警察も重装備で警戒にあたり、カウンター行動もなされているようだ。伝統的な右翼はこの日に抗議行動は取らず、また人が亡くなった事態に対してそのような行為はとってこなかったそうだ。そのことと比較しても不謹慎にもほどがあるが、30年の節目の年である今年も実施の予告がなされていると聞く。
そしてこの件が一般に我々にも関係してくるのは、当の朝日新聞社は自社の事案であることもあり取り扱いに慎重になっているようで、世の中にはあまり知られていないことだろう。言い方を変えれば、ひとつ関西を離れてみれば、そもそもこうした事態が起きているということを知ることが困難なのである。それだけではない。新聞社の地域支局のセキュリティはこの事件を機にオートロックで施錠された強固なものとなり、地域に開放された新聞社を維持していくことが困難になっているとも聞く。30年前の事件はいまにつながり、おそらくは詳細な歴史的な経緯についてはあまり知られないままに、日本社会の言論状況に影響を与えている。少なからず萎縮させているといっても過言ではないのではないか。
私的領域に目を向けてみても幾つもの関係性を見出すことができる。被害者の記者たちは当時30代~20代後半。まさに筆者と同世代である。30年の歳月が経過したことになるから、ご遺族のお子さんはまさに同世代であり、同時代の問題といえるはずだ。かつてマルコムXは「バレット(銃弾)か、バロット(投票)か」と問うた。立場やイデオロギーを問わず、現代社会の重要な獲得物といえる。現在から見た朝日新聞社阪神支局襲撃事件は、改めてそれらについて考える重要な契機といえる。
2017年5月3日13時~17時まで、池上彰さん、高橋源一郎さん、高橋純子さん、高橋大作さん、西田を中心に、改めてこの問題を考えるシンポジウムが行われます。現地での観覧募集は締め切っていますが、動画配信が行われます(アーカイブはなし)。
言論の自由を考える5・3集会