研究室情報【進学、研究生、共同研究等希望者等向け】

西田亮介研究室について (about Dr. Ryosuke NISHIDA's Lab.@titech)
東京工業大学環境・社会理工学院社会・人間科学系 社会・人間科学コース 西田亮介研究室の研究室情報です。
研究室(修士課程、博士課程)への進学、研究生の希望者は、よく読み、 原則として、
十分な時間的余裕をもって事前に連絡し、 個別面談を受けて下さい(海外、遠方在住等の場合はSkypeなどでも可能です)。
(日本語)

(English)

オンラインサロンを始めました。初月無料、社会人2000円/月、学生1000円/月。平日毎日更新。週1選書。月1読書会。
「西田亮介の新書、文庫、雑誌で始めるリベラルアーツゼミ」

2016年2月29日月曜日

"일 못하는 '무업청년' 개인탓 말고 사회안전망 마련해야" | 다음 뉴스

先々週の盟友工藤啓さんとの韓国弾丸ツアーの記事第1弾が公開されたようです。Google翻訳などでご覧いただければと思います。滞在30時間弱で、基調講演1、パネルディスカッション1、実務者との交流2、取材対応3で、最後、金浦空港を走るというツアーだったと記憶しております。

"일 못하는 '무업청년' 개인탓 말고 사회안전망 마련해야" | 다음 뉴스
 http://v.media.daum.net/v/20160224185614426?f=m


Nishida, Ryosukeさん(@ryosukenishida)が投稿した写真 -

『民主主義』が2月28日付朝日新聞書評欄「Bookmark」で紹介されました。

朝日新聞2016年2月28日「ブックマーク」より引用
『民主主義』が2月28日付朝日新聞読書欄の「Bookmark」にて紹介されました。先日の毎日新聞での中島京子さんの書評に加えて、全国紙での書評第2弾。じわじわと伸びて欲しいものです。


『出版ニュース』誌「書きたいテーマ・出したい本」に寄稿しました。


『出版ニュース』誌「書きたいテーマ・出したい本」に寄稿しました。というわけで、編集者の皆様、ご連絡をお待ちしております・・・。

西田亮介,2016,「少々の大風呂敷を」『出版ニュース』2406: 50.

2016年2月28日日曜日

「英雄でも超人でもなく、「普通の人」を信頼する制度」

幻冬舎公式サイトでの、『民主主義』抜粋第4弾。

西田亮介 英雄でも超人でもなく、「普通の人」を信頼する制度<終戦直後の社会科教科書『民主主義』が熱い!> - 幻冬舎plus
http://www.gentosha.jp/articles/-/4980


2016年2月25日木曜日

『早稲田文学』2016年春号に寄稿しました。


『早稲田文学』2016年春号に、短いエッセイを寄稿しました。早稲田文学に書かせてもらったのは、久しぶりでした。どちらかといえば慶應系なんですけどね!(無関係)

西田亮介,2016,「2020年に向けて、ポストモダンのテロを想像せよ」『早稲田文学』1018: 176-7.

2016年2月24日水曜日

#クロス

毎月恒例モーニングクロス。明日です。

下野新聞コラム「雷鳴抄」に『民主主義』書評をいただきました。




下野新聞のコラム「雷鳴抄」に『民主主義』書評をいただきました。

復刻版教科書|下野新聞「SOON」
http://www.shimotsuke.co.jp/special/raimei/201602/2243815

Amazonの「政治学」カテゴリ「中学教科書・参考書社会」カテゴリで1位をキープするとともに、幻冬舎新書のなかでも健闘しているようです。


2016年2月22日月曜日

『オデッセイ』



『インターステラー』のような人間(親子)関係の本質に迫るようなドラマ性には乏しいが、リドリー・スコット監督&主演マット・デイモンの面目躍如というべきか良質なサイエンスエンターテイメントだった。度重なる困難のもとでもひたすらフロンティアへ向かう、特殊アメリカ的な本能にもとづくストーリーに、マーケットを意識してか中国(資本)へのリップサービスが微妙にブレンドされている。Wikipedia情報によれば、リドリー・スコットは、78歳ということのようで、飽くなき探究心とはいえる。

2016年2月17日水曜日

「政治に関心ありますか? ~“18歳選挙権”導入へ~」文字起こし

昨年出演した、NHKクローズアップ現代「政治に関心ありますか? ~“18歳選挙権”導入へ~」の回が、公式文字起こし(?)されていました。関心の高い主題でもあろうかと思いますので、改めてリンクを貼っておきます。

政治に関心ありますか? ~“18歳選挙権”導入へ~  - NHK クローズアップ現代
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3720.html

2016年2月16日火曜日

「『シェア』という状況――二項対立を崩す新しい『共有』のあり方」


建築家諸氏と座談会が行われました。しばらく前の、門脇さん編著への寄稿など、このところ年に数回程度建築家の皆さんと仕事をしています。いい意味で、言葉さえ通じないので、いつもおもしろいです。

西田司・中川エリカ・稲垣淳哉・佐野哲史・西田亮介,2016,「『シェア』という状況――二項対立を崩す新しい『共有』のあり方」『新建築』91(4): 42-7.



#minisimmons たまたま見付けてビッグスクエアテールのキールツインフィンという奇妙なデザインにひかれて手に取ったが物凄く難しい。長さこそ5'1と短いが、幅は20と十分な浮力はある。それでいてフラット~ラウンドだからかペッタリ波に張り付き、テイクオフが速いともいえない。むしろ変なタイミングで走り出すうえに、レールはナイフィーというのか、妙に入りやすい、というか、入りすぎる。オンショアの千葉と、小波ダンパーの湘南の2度しか乗ってないがとにかく乗りにくい…。フィッシュみたいに気軽に楽しむ、というタイプの板ではないみたいだ。。まぁそういうのもおもしろいといえばおもしろいかもしれない。というわけで、もうしばらくいろいろなところに持っていって、乗ってみよう。
Nishida, Ryosukeさん(@ryosukenishida)が投稿した写真 -

2016年2月15日月曜日

日本新聞協会「新聞協会報」第4179 号に、『メディアと自民党』(角川新書)関連の講演記録が掲載。



日本新聞協会「新聞協会報」第4179 号に、『メディアと自民党』(角川新書)関連の講演記録が掲載されました。マスコミ倫理懇談会例会での1月の講演を受けたものです。




『ジョン・ウィック』



忙しくてなかなか映画を観ることができない。『ジョン・ウィック』映画館で観ればよかった。素晴らしく徹底された様式美と、確かにキアヌ・リーブス復活だった。

『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』における幻の「はじめに」

民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』における幻の「はじめに」を公開します。分量的に収まらなくなってしまい、より平易で、短いものに差し替えましたが、復刻、編集をはじめた当初の問題意識は大きくは変わっていません。先日、重版が決まり、ちょうど2月14日付けで、作家の中島京子氏による書評が毎日新聞で公開されましたので、公開してみることにしました。書籍に収録された「はじめに」とあわせて読んでいただいても、ちょっとおもしろいと思います。
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これ(引用者注: 民主主義のこと)を思う通りにしたいと思っても、直ぐに効き目のある薬などはない。気長に民衆にデモクラシーの本当の意味を体得させるように教育するより他はない。学校の教育、又、社会的の教育によって、その目的を達するように、政治家も民間の識者も努力しなければならない。(吉田茂,2015,『大磯随筆・世界と日本』中央公論新社.p.11)
このように記したのは、かつての宰相吉田茂である。
吉田が述べた民主主義とその普及、啓発のあり方について、現在でも異論のある人は少ないだろう。実にオーソドックスな民主主義観といえる。
念のため確認しておくと、吉田は、第2次世界大戦前には外交官、その後外務大臣をつとめ、終戦工作にもかかわった大局的な政治観をもった人物である。
戦後は、混乱の最中、3次にわたって総理大臣をつとめ、日本国憲法の誕生と公布、サンフランシスコ講和条約と日本の再独立、(旧)安保条約、自衛隊の誕生にかかわっている。
現在も日本社会が対応に苦悩している政治的社会的問題を思い起こしてみれば、それらの相当部分に吉田が関わっていたことになり、我々は未だ吉田の呪縛から逃れられずにいるのかもしれない。
とはいえ、吉田の選択には、経済に、戦争で荒廃した乏しい資源を集中し、アメリカとの関係のなかで、妥協しながらも戦後の復興期を実現しようという、高度な政治の智慧の痕跡を見出すことができる。
いずれにせよ、なるほど、そうはいっても吉田の先見の明を賞賛することはたやすい。
吉田が民主主義の育成について記したのは、およそ50年前のことだが、現在の日本社会の状況をもってしても、ほぼそのまま通じてしまう。
その一方で、戦後70年の歳月を経た日本の民主主義だが、かつての宰相の至言が、そのまま通用してしまうほどに心許ない。それほどに、日本社会は、民主主義を定着させるために、どのように「政治家も民間の識者も努力」するのかを十分議論してこなかったし、それゆえに具体化することもなかった。
もちろん、吉田がいうように「気長に民衆にデモクラシーの本当の意味を体得させるように教育するより他はない」ことも事実だが、だからといって、ただ悠長に構えているわけにもいくまい。
現在の日本社会と政治の状況に目を向けてみると、安保法制の是非をめぐって、国会が紛糾し(しかし、着々と法整備は進められ)、大規模なデモが発生する一方で、具体的な制度上の欠陥の所在や、実際に戦争を招きうる法律なのか否かは新聞やテレビを見ても判断できないというのが多くの人の同意するところではないか。
二大政党制を求めて小選挙区制度を(部分的に)導入してから20年以上の時間が経過したのに、あいも変わらず自民党一強の政局は変わらないままである。
その自民党と官邸がメディアとのコミュニケーション戦略と手法を変更したことで、メディアに対する世論の風向きも厳しくなり、確かに伝統的なマスメディアは萎縮気味だ。
2015年の、選挙を規定した公職選挙法の改正によって、投票可能年齢も満20歳から18歳に引き下げとなった。それを受けて、総務省と文科省は急ごしらえで、選挙教育用教材を制作し、高等学校に配布、公開した(『私たちが拓く日本の未来』)。
ただ、それらの教材の利用は現場に委ねられており、現代史を中心に学ぶ『歴史総合』や、いわゆる公民に必要な知識や選挙教育を学ぶ『公共』(いずれも仮称)の高校教育での必修化は2022年度が予定されている。
したがって、2016年の参院選を皮切りに、しばらくのあいだは、投票年齢引き下げは実施されたものの全員が十分な水準の政治教育を受けたと見なすことのできない、高校生が多数生まれることになる。
このような日本社会のなかで、若年世代にかぎらず、年長世代をもってしても、民主主義とはなにか、という問いに対して、自分の言葉で説明できる人が、いったいどれほどいるだろうか。
教育基本法は次のように定めている。
(政治教育)
第十四条  良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2  法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。(「教育基本法」より引用)
このように、教育基本法は、日本の教育において、政治的教養の涵養について宣言している。教育基本法は、もともとは第1次吉田茂内閣のもとで、1947年3月31日に公布、施行されている。
教育基本法には、戦争への動員に教育が用いられたことの反省や、教育を通して、新しい戦後民主主義の価値観を広げていこうという意図が少なからず込められていた。
しかし、どうだろうか。これまで各自が受けてきた教育過程を振り返ってみて、どれだけ、民主主義について学び、考え、議論した機会をどれほどもってきただろうか。
公立小学校と、中堅の私立進学校を経てきた編者自身の記憶を振り返ってみても、ほとんど思い出すことができない。大学時代はそのような授業を受けた記憶はない。正直なところ、民主主義や選挙、政治について考えるようになったのは、これらを仕事にし始めた時期と重複している。
もちろん、授業で日本国憲法を暗唱したり、大学入試で負担の少ない科目として、現代社会や政治経済を選択した人はいるだろう。前者は定番の授業コンテンツであり、後者は定番化した受験テクニックのひとつだからである。
ただ、それらと私たちの現実の生活や政治が、あまり密接な関係をもって普及しているとはいえないだろう。授業や受験をやり過ごすためのツールであって、教育基本法が宣言したような政治的教養の涵養は相当程度、限定的なものにとどまっている。
たとえば、民主主義の理念を念頭におき、複数の情報源から現在の政局や候補者の主張を調べたうえで、自らの立場をはっきりと決め、確信をもって投票に赴く人々がどれほどいるだろうか。
むろん、選挙や投票は、日本国憲法が定める権利であるから、どのように行使するかは各自の自由裁量に委ねられている。したがって、各自の直感のままに選択しようが、当日の天気次第で棄権しようがそれはそれでよいのだが、仮に前述のように政治選択に参加したいと考えたときに、そのための道具立て――「民主主義を理解するための道具立て」――を社会が用意できていないとすれば、些か問題があるだろう。
「民主主義を理解するための道具立て」ということでいえば、2000年代半ば以後、一部の先駆的な教育者と研究者のグループや、経済産業省の研究会などが、「市民性教育」(Citizenship Education)とその重要性について、折りに触れて言及してきた。それが今、投票年齢の引き下げで改めて注目が集まっている。
日本における「市民性教育」の課題と展望については後述するとして、総務省と文科省が制作、配布した『私たちが拓く日本の未来』も、日本版市民性教育を意図しようとしたものである様子が伺える。
このように、いま、民主主義をどのように理解し、普及、啓発していくのか、という問いが改めて問い直されようとしている。
それだけではない。第二次安倍内閣以後、第二次世界大戦後初めて、衆参両院で自公連立の安定政権が継続している。本稿執筆時点では、野党勢力のなかに、直近で連立与党を脅かしそうな存在は見当たらない。仮に選挙区や政策の調整がうまくいったところで、よほどの政治的社会的インパクトがあるインシデントが発生しないかぎり、現状の政治環境は2020年を十分射程に入れながら、かなり長い期間にわたって継続しそうである。
そのことが意味するのは、いよいよ憲法改正が、現実の政治日程にのぼりうるということである。
占領下で公布、施行されたことから、ときにアメリカによる「押し付け憲法」などと呼ばれる日本国憲法だが、戦後の長きにわたって、日本と日本人を規定し、さまざまな課題は散見されど、そしてある種の歴史的幸運にも恵まれながら、全体としては十分及第点と呼べる水準の反映の基礎となったことは否定しがたい。
日本国憲法は、改正の手続きを、国会議員の総数の三分の二以上の賛成で発議し、国民投票の過半数の賛成を必要とすると定めている。
第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
○2  憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。(「日本国憲法」第九十六条より引用)
吉田はいうに及ばず、第二次世界大戦後の国内のコンセンサスとして、時期が来て、十分な戦後復興を遂げた暁には日本国憲法は改正する必要があると考えられていた。日米安全保障条約や非武装の路線も、安全保障など軍事面での支出を削減し戦後復興に集中するための統治の智慧であったとされる。
だからこそ、1955年の結党以来、現在に至るまで、改憲は自由民主党の悲願であり続けてきた。すでに安倍総理の祖父、岸信介らも改憲を主張していたし、自民党はこれまでにも繰り返し、独自の憲法草案を提案してきた歴史がある。
しかしながら、憲法第96条は、常に改憲の歯止めとなってきた。
「55年体制」と呼ばれるように、自民党と、旧社会党が議席数こそ少ないものの対立し、改憲を狙える議席数を自民党が確保することはなかった。自民党内部でも派閥間の争いが激しいという事情もあった。
「自主憲法期成議員同盟」などはありながらも、実態としては長く棚上げされ続けてきたのである。
事実、改憲の手続きを定める法律も、未整備のままであった。
それが2010年に国民投票法が成立し、その要件が定められた。そこでは将来的に対象を18歳以上とすることとされ、公選法の投票年齢の引き下げの議論に少なからず影響した。
その後、第2次安倍内閣以後、改憲を主張する勢力が議席を伸ばし、同時に護憲を主張する政党が衰退し、野党の民主党や維新の党でさえ、護憲ではなく、改憲(と読める内容)を主張している。
これらが意味するのは、それほど遠くない将来、日本人と日本社会は、憲法のあり方、つまりは日本における民主主義のあり方について、真剣に向き合い議論し、選択する事態に直面しうるということである。そしてその可能性は決して低くはない。
仮に2016年の参議院議員通常選挙が、衆議院議員総選挙と同時に行われるダブル選挙となれば、次の国政選挙は2019年の参院選であり、ダブル選挙でなければ2018年に衆院選がある。どちらの場合でも、選挙のない空白期間があるが、もし改憲を主張する政党の議席数が憲法96条の規定を越えるようであれば、はじめて改憲が発議される可能性は十分あるのではないか。
「護憲か、改憲か」という二項対立の問題設定は容易だが、ここで問題にしたいのは、私たちの社会は、改憲の是非を議論する準備ができているだろうかという点である。
日本社会は、すでに相当長い時間、憲法とはなにか、民主主義とはなにかという、ときに少々青臭くも感じられる問いを、真剣に吟味する作業を怠ってきたように思える。
そもそも日本人にとっての民主主義の独自性や固有の手触り、質感とはいったいどのようなものだろうか。
このように問いを立てると、すぐさま、ある歴史的な時点の姿や立場を選択して継承しようとする人たちが出てくる。だが、それは些か性急かつ恣意的に過ぎ、国民の共通合意を得ることが困難であろう。
しかしながら継承することはできずとも、現在の立場から、民主主義にもっとも真剣に向き合った時代の知恵とそのプロセスを参照することの重要性を否定する人は少ないのではないか。
そのひとつの参照先は、日本社会が、少なくとも生活者からすれば突如もちこまれた民主主義という概念に、どのように向き合い、またどのように消化しようとしたかという軌跡になるだろう。
前置きが長くなったが、『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』の底本、文部省著作教科書『民主主義』は、1948年に上巻が発行された教科書である。未だ敗戦の記憶が新しく、占領下の統制にあり、日本でもっとも多くの人々が、もっとも真剣に民主主義に向き合わざるをえなかった時期に、専門知識を持たない学生向けに執筆された教科書といえる。
『民主主義』の最終的な監修は法哲学者尾高朝雄が務めたが、一読いただければわかるように、逆コースを辿ろうとする政治状況と革新的な論調が主流の論壇の狭間で、高い理想と現実を、格調高い筆致で描いている。
民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』はそのなかからとくに重要と思える章を抜粋し、幾つかの注を追加し、筆者が現代的な展望について解説を付している。ぜひ、なぜ当時、尾高は、そして文部省は、このような筆致と論調で、民主主義を論じようと考えたのか、その狙いや意図を想像し、また可能であれば議論してみて欲しい。そこに我々が改めて、憲法や民主主義を自分たち自身のものとして考えるヒントがあるはずだ。
とはいえ、『民主主義』をそのまま復刻できればそれに越したことはないのだが、幾分分厚過ぎ、また些か古くなった記述があることも否めない。
そのなかで改めて、新書として、多くの現代人の手に届きやすいかたちにまとめるにあたって、紙幅を圧縮する必要に迫られ、乱暴なまでに多くのコンテンツを削ぎ落とさなければならなかった。世論と動員など、編者の関心事項を優先した部分もある。
もし『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』を手にとってみて、『民主主義』に関心を持った人は、径書房版『民主主義──文部省著作教科書』(1995年、径書房)を手にとって見て欲しい。現代仮名遣いに改めたうえ、『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』では割愛したすべての項目を収録している。電子化もされていて、入手も比較的容易なはずである。また『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』執筆時点では、オンライン書店などで、5000~1万円程度で入手可能である。
『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』が、かつてもっとも日本社会が民主主義に向き合った/向き合わざるをえなかった時代の叡智とその軌跡を思い起こさせ、他方で、その「磁場」に過剰にとらわれ過ぎることなく、眼下に迫りつつある、日本人が改めて憲法、そして民主主義のあり方を考えなくてはならない時代に、思考のためのひとつの手がかりとなれば、編者として望外の喜びといえる。

2016年2月14日日曜日

2月14日付け毎日新聞書評欄「今日の本棚」にて、中島京子氏に『民主主義』を取り上げていただきました。

2月14日付け毎日新聞書評欄「今日の本棚」にて、作家の中島京子氏に『民主主義』を取り上げていただきました。週末入り直前に枯渇してしまっていたAmazonの在庫もなんとか回復。先日重版が決まったばかりですがこれを機に、もうひと伸び、ふた伸びしてくれれば良いと思います。

今週の本棚:中島京子・評 『民主主義 <一九四八−五三>中学・高校…』=文部省・著、西田亮介・編 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160214/ddm/015/070/004000c


東京工業大学大岡山生協購買さんの新書ランキングで『メディアと自民党』が一位に。


先週金曜日に、書籍を買いに東京工業大学大岡山生協購買さんを訪れたところ、新書ランキングで『メディアと自民党』が一位になっていました。なぜ今さら感とか、文系学部がないので、普通の書店や生協購買とは異なった動きをするにせよ、ちょっと不思議です(他の書籍を見ても、やはり不思議な並びではありますね)。とはいえ、貴重なシーンなので、頼んで撮影させていただきました。高市総務大臣や総務省の公式見解など、政治とメディアのインシデントが相次いでいますが、それらを読み解く補助線としてまさに最適な一冊だと思いますので、今からでも是非手に取っていただければと思います。




2016年2月13日土曜日

堀潤さんNewsPicks書評「民主主義の本当の意味とは。堀潤が選ぶ日本政治を再考する3冊」に『民主主義』!

毎月、東京MXの『モーニングクロス』でご一緒している堀潤さんが、NewsPicksで書評を書いていて、そのうちの一冊に、『民主主義』を取り上げてくれていました。

重版が決まるとほぼ同時に、Amazon在庫が切れ、この週末にややランキングを下げましたが、在庫も復活したようですので、再度頑張って欲しいところです。

堀潤さんNewsPicks書評「プロピッカーが選ぶ今週の3冊 民主主義の本当の意味とは。堀潤が選ぶ日本政治を再考する3冊」
https://newspicks.com/news/1390511/body/?ref=series



2016年2月12日金曜日

西田亮介「Ride On The Politics」Podcast

現在、全国のJFN系列各局で、月曜5時30分〜放送中の、西田亮介「Ride On The Politics」ですが、Podcastもあります。こちらでは著作権の関係で、音楽を聴くことはできず、トークのみとなりますが、良かったらぜひ聴いて下さい。リンク先のiTunesのPodcastのタイトル「サードプレイス」の「説明」の項目に、「西田亮介「Ride On The Politics」」と書かれているのが、ぼくの担当のものになります。よろしくお願いします!

JAPAN FM NETWORK - サードプレイス
https://itun.es/i6YT2VT

2016年2月11日木曜日

第2回 「なぜ政治を「最も賢いひとり」に任せてはダメなのか」「<終戦直後の社会科教科書『民主主義』が熱い!> - 幻冬舎plus 」

「<終戦直後の社会科教科書『民主主義』が熱い!> - 幻冬舎plus 」の第2回が更新されました。さっき見たところでは、「政治学」1位、「中学生の社会」1位、「幻冬舎新書」 4位と、Amazonランキングでも、なかなか健闘しています。

西田亮介 なぜ政治を「最も賢いひとり」に任せてはダメなのか<終戦直後の社会科教科書『民主主義』が熱い!> - 幻冬舎plus
http://www.gentosha.jp/articles/-/4976



2016年2月10日水曜日

『日刊ゲンダイDIGITAL』に民主主義の書評を掲載いただきました。

『日刊ゲンダイDIGITAL』に民主主義の書評を掲載いただきました。以前、森永卓郎さんによる『メディアと自民党』の書評を掲載いただいたこともあり、ありがたいかぎりです。

【憲法と民主主義】安保法制を再び問題提起する | 日刊ゲンダイDIGITAL
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/174947/3


J-WAVEは、『JAM THE WORLD』で、堀潤さんと『民主主義』を語ってきました。



(下スクリーンショットは、2月10日にhttp://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/ から引用)

2月10日、J-WAVEは、『JAM THE WORLD』で、堀潤さんと『民主主義』を語ってきました。『JAM THE WORLD』はとても久々でしたが、堀さんとは最近毎月コメンテータをやっているTOKYO MX『モーニングクロス』で毎月お目にかかっていました。しかし、テレビというメディアの体感速度がとても速いこともあって、なかなかゆっくり話すことができませんが、今日はラジオなのでじっくり語ることができました(ぼくもパーソナリティをやっているのでわかりますが、ラジオはゆっくり、じっくりなにかを議論するのに向いてるメディアですね)。とても気に入っていただいたようで、先週も番組で言及いただいたのみならず、各所で宣伝いただいているようです。その思い入れは、今日、リスナープレゼント用に3冊を提供したのですが、堀さんが気になって番組内で取り上げた箇所に付箋をはってプレゼントとする企画にしてしまうほど。ありがたいことです。堀さんと『JAM THE WORLD』の効果か、Amazonでも在庫のこり5冊、「幻冬舎新書」カテゴリでも3位を記録しています。ありがとうございました。たぶん、この教科書は、議論やワークショップに向いているものなはずなので、そういった活用やイベントもやってみたいところです。

http://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/break/index.html



2016年2月9日火曜日

祝!『民主主義』重版決定。



2刷2000部の重版が決まりました。ありがとうございます!引き続き、手に取っていてだけるとうれしいです。先程、Amazonランキングを見てみたら、未だ「政治学1位」「中学・社会 1位」「幻冬舎新書7位」など検討を見せています。いま、実際に、『民主主義』の教育を受けた人や、教えた経験を持つ人、作成にかかわった文部省の人などを探しています。ネットを使っている世代ではないような気もしますが、ご存知の方がいたら連絡いただければ幸甚です。






余談ですが、高市総務大臣の放送事業者の電波利用停止発言など、こういった問題を考えるフレームワークとして、拙著『メディアと自民党』(角川新書)は最適と思います。あわせて手に取っていてみてください。





2016年2月8日月曜日

現代の「18歳選挙権」用選挙教育教材と『民主主義』


先日、幻冬舎新書として、かつての1948年から1953年まで、実際に用いられた中学、高校教科書『民主主義』を、『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』として復刊した。関連して、2つのエントリを書いた。
『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』の現代における批評性(西田亮介)- Y!ニュース
「民主主義の共通感覚」と『民主主義』--かつての中学、高校教科書『民主主義』復刊に寄せて(西田亮介)- Y!ニュース
この3本目のエントリで書いてみたいのは、現代の選挙教育教材と『民主主義』の簡単な比較をしてみたい。両者はどう違うのだろうか。すでに各所で報道されているように2015年の公職選挙法改正によって、投票年齢が18歳以上に引き下げられた(通称、「18歳選挙権」。ただし、2016年6月19日施行なので、それ以前に衆院の解散などで国政選挙が実施された場合は、適用されない)。それにあわせて、総務省と文科省が選挙教育用教材を制作し配布している。
総務省|高校生向け副教材「私たちが拓く日本の未来」について
大別すると、解説編と実践編、参考編という3つのパートからなり、104ページで構成されている。このテキストは、日本の選挙制度の仕組みや議員の役割等々の知識を中心に端的にまとまっている。今回復刊した抄録版でさえ、解説等々含め254ページに及ぶ『民主主義』とは分量が相当程度異なっている。全体像については、径書房版を手にとって見ればわかるが、相当に分厚い。『私たちが拓く日本の未来』は公民や政治経済など、各所に断片的に存在している基礎的な選挙の知識を必要にして十分な内容をコンパクトにまとめている。そのうえで、模擬選挙など最近トレンドにもなっている実践的な演習の方法について説明している。
報道などでは、このテキストの制作をもって、「日本でも市民性教育が始まった」という趣旨の報道がなされているが、それは間違いであるというのが、筆者の認識である。というのも、その利活用は教育現場に委ねられているからだ。つまり、104ページの内容を消化するのにどれくらい必要かというのは議論が必要だが、1回や2回の授業でその内容を十分に消化するのは困難であるということについては同意を得られるだろう。せめて半期程度の授業時間を割く必要があるのではないかという気がする。ただし、正式な科目として位置づけられているわけではないから、それほど多くの授業回数を割くというのは現実的ではない。受験ともあまり関係しない内容である。報道で取り上げられるような、一部の先進的な学校はよいが、全体でみれば、どの程度教育の過程に取り入れられ、消化されるかは未知数というほかない。
それでは、正式な必修科目化されるのはいつのことなのだろうか。現在議論されているのは、2022年度からである。高校に「公共」「歴史総合」(仮称)が必修科目とすることが議論されている。「公共」では、政治参加、社会保障、契約、家族制度、雇用、消費行動等を学習予定で、「歴史総合」では日本史と世界史の近現代部分を中心に学習するということのようだ。ということは、日本では「市民性教育」の実施に先行して「18歳選挙権」が実施されるというのが本当のところである。
これとくらべると、『民主主義』はいかにも分厚く、内容も、民主主義の歴史、各国の民主制の実態、憲法、女性参政権、プロパガンダ等々と幅が広い。簡潔さということでは、『私たちが拓く日本の未来』の後塵を拝するというほかない。ただし、現代の、世界における市民性教育は、アイデンティティや政治的統合と切り離して考えることは困難である。EU統合過程における、EU市民としてのアイデンティティ形成などを例に挙げることができる。『民主主義』は制作の背景にGHQやCIEによる民主主義の普及啓発の意図があったことは事実だが、その制作過程では、法哲学者尾高朝雄ら、日本の知識人らが相当程度自由に筆を振るっている。ある意味では、日本人がもっとも真剣に民主主義に向き合い/向き合わざるをえなかった時代に、当時の知識人らがどのような筆致をもって「民主主義」を伝えようとしたかという痕跡を、時代状況や執筆の歴史的経緯などとあわせて、その筆致を素材に議論して学ぶことができうるだろう。政治と教育の中立が厳格化された現代において、こうしたテキストを制作することは困難と思われるが、前述の『私たちが拓く日本の未来』が政治の「情と理」のうち、後者に特化していると捉えるなら、前者を議論する補助線になりうるだろう。
下記の版元の幻冬舎のサイトで冒頭の部分を読むことができる。ぜひ一度、目を通してみてほしい。
西田亮介 民主主義は、みんなの心の中にある<終戦直後の社会科教科書『民主主義』が熱い!>幻冬舎

2016年2月6日土曜日

津田大介さんのメールマガジン 「 津田大介の「メディアの現場」」2016.2.5号に「自民党はもう負けないのか 平将明 × 西田亮介 × 津田大介」掲載。


津田大介さんのメールマガジン 「 津田大介の「メディアの現場」」2016.2.5号に「自民党はもう負けないのか 平将明 × 西田亮介 × 津田大介」を掲載いただきました。ゲンロンカフェでのイベントを再録したものです。またぼくの議論のフレームワークは、拙著『メディアと自民党』(角川新書)に基づくものです。これ、これまで自民党の小林議員との対談でも言及してきたものですが、ぜひ読んでほしいものです。またあまりここでは言及していませんが、自民党のネット選挙対策チーム「T2」の概要や、1次資料も含まれているので、手にとってほしいものです。





『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』の現代における批評性


先日、下記のエントリで簡潔に紹介したように、1948年から1953年に実際に使用された『民主主義』というテキストを、抄録かつ読みやすいように手を加えて復刊した。
「民主主義の共通感覚」と『民主主義』--かつての中学、高校教科書『民主主義』復刊に寄せて(西田亮介)- Y!ニュース
上記では、簡潔に、復刊に取り組んだ現代的文脈を書いた。詳しくは先のエントリを読んでほしいが、問題意識として、日本社会における「民主主義の共通感覚」の不在(と、同時に、具体的に参照できる対象の不在)、2015年の公選法改正による18歳への投票年齢の引き下げ、今夏の参院選以後に現実味を帯びる憲法改正発議の可能性とその投票運動などを背景に、『民主主義』が「日本人がもっとも真剣に民主主義に向き合った/向き合わざるをえなかった時期」に、むろんGHQ/CIEの一定の影響下のもとにありながら(日本教育の再興に多面的に関わったことで知られる、CIEのハワード・ベル博士が重要な役割を果たしたようだ)、しかし一定の独立を担保されながら記された稀有なテキストであることなどを紹介した。
もうひとつ、現代日本の政治的社会的状況で、このテキストを復刊させることには少なからず批評性があると考えている。このエントリでは、その点を紹介したい。「民主主義」というと、最近では、ともすれば思想的に左翼的な思想を主張しているように思われるのではないか。だが、『民主主義』を執筆するのみならず、最終的に取りまとめる役割を果たした著名な法哲学者尾高朝雄は、ケルゼンを翻訳し、シュッツらからも学んだようである。現代的な意味での「サヨク」とは趣きが異なった学術的な背景を有している。むろん、いわゆるマルクス主義的な意味でも、尾高は左翼的な思想の持ち主とはいえまい。
事実、このテキストは、刊行されたのち、多くの批判を受けている。「官製民主主義」の押し付けであるという批判もあれば、当時の左翼陣営もまたこのテキストを批判した。尾高自身が「『民主主義』について」という1949年に「教育現実」という雑誌に記した短い論文で用いた言葉を借りれば、「日本共産党の外郭団体」によって「職権濫用罪」で告発されたそうである(検察当局は不受理としたようだ)。当時の文脈では、『民主主義』は左派が擁護するテキストとは見なされなかったのである。敗戦後、戦時中抑圧されていた労働運動や共産主義が花開いたこともあり、彼らの観点からすれば、このテキストは保守的に過ぎたということになるのであろう。
このように捉えると、ここではあくまで簡潔に述べるに留めるが、このテキストを素朴な左派的な理解で受容しても、やはり素朴な右派的な理解のもとで冷笑してみたとしても、図らずもいずれもこのテキストが本来有する文脈とは異なった「ねじれ」が生じさせることになる。だが、この「ねじれ」こそが現代的な意味での批評性といえるのではないか。というのも、時代文脈や執筆の歴史的経緯、その社会的受容を総合しながら読み解く過程に(個々人がそこから導き出す「結論」ではなく)、本書を再読する価値があるように思われるからである。
むろん、本書はかつての教科書でありながら、尾高という研究者としても、教育者としても優れた著者が全体を監修し、当時保守的な意味でも、革新的な意味でも抑制的な記述に務めたことで、記述の内容のみならず、筆致から学べることも少なくない。その辺りは、下記の版元の幻冬舎のサイトで冒頭の部分を読むことができる。ぜひ一度、目を通してみてほしい。
西田亮介 民主主義は、みんなの心の中にある<終戦直後の社会科教科書『民主主義』が熱い!>幻冬舎

2016年2月5日金曜日

『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』(幻冬舎新書)の試し読みができます。

幻冬舎さんの下記のサイトで、4回にわたって、『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』(幻冬舎新書)の試し読みなどができる企画を、おそらくは担当編集K氏が仕掛けています。ちょっと興味が湧いたという方など、ご一読を。

西田亮介 民主主義は、みんなの心の中にある<終戦直後の社会科教科書『民主主義』が熱い!> - 幻冬舎plus
http://www.gentosha.jp/articles/-/4924



「民主主義の共通感覚」と『民主主義』--かつての中学、高校教科書『民主主義』復刊に寄せて


先日、幻冬舎新書として、かつての1948年から1953年まで、実際に用いられた中学、高校教科書『民主主義』を、『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』として復刊した。
これは極めて稀有なテキストなのだが、その理由は幾度かにわたって、少し掘り下げてみたい。そもそも、かつて中等教育の正式科目として、「民主主義」があり、そのための正式な教材として、『民主主義』が存在したことをご存知の方はどれほどいるだろうか。たとえば、社会科教育の分野では「テキストが存在した事実」については、知識として学ぶそうだ。だが、関係の人たちに聞いてみても、どうやら実際にページを開いて、そのテキストを読むというわけではないようだ。
日本国憲法普及過程の普及教材ということでいうと、現在では岩波文庫に収録されている『新しい憲法のはなし』などが有名である。しかし、これと比較してみても、『民主主義』は興味深く、また現在に復刊する意味があると考えるので、簡潔に述べてみることで、今回の復刊の意図を紹介したい。
この本が配布された1948年は、ひとことでいうと、日本人が、そして日本社会が全体として民主主義に向き合った/向き合わざるをえなかった時期といえる。「民主主義に向き合った/向き合わざるをえなかった」と書くのは理由がある。改めて確認するまでもないが、太平洋戦争の敗戦を経験し、戦後の混乱期にあたり、さらにGHQの統治のもとにあった。そのもとで、急速に、大日本帝国憲法に基づく社会システムが書き換えられていく。むろん、民主主義の伝統は、日本の戦前、戦中にも存在したことは事実だが、生活者が現実味をもって、直接、経験的にそれと向き合ったのは、やはり敗戦後、改めて日本社会の外部であった占領軍の手で「民主主義」が持ち込まれ、日本国憲法とともに社会に普及させたことが主要因となっているというほかない。
吉田茂や彼の右腕であった白洲次郎が手記や回顧録に記しているように、また後世の研究者らが丹念に明らかにしてきたように、日本国憲法の成立過程に、少なからず外圧があったことは現在では、思想の左右問わず、ほぼ合意されるところである。また、戦争への動員に教育を通して協力したことへの反省から、終戦直後、当時の文部省は「新日本建設の教育方針」を提示している。また「民主主義」と戦後民主主義的価値観の普及啓発は、民間情報教育局からの要求でもあった。こうして教育をとおして、また社会教育、パンフレットの配布などを通じて、それらの宣伝が大々的に行われた。
その諸産物のひとつが、『民主主義』なのだが、このテキストは、他の書籍と一線を画している。他のパンフレットなどが日本国憲法の平易な言い換えに終始するのに対して、このテキストはより踏み込んだ、なんともいえない筆致をとっている。たとえば、このテキストは、以下のような書き出しで始まっている。
今の世の中には、民主主義ということばがはんらんしている。民主主義ということばならば、だれもが知っている。しかし、民主主義のほんとうの意味を知っている人がどれだけあるだろうか。その点になると、はなはだ心もとないといわなければならない。
では、民主主義とはいったいなんだろう。多くの人々は、民主主義というのは政治のやり方であって、自分たちを代表して政治をする人をみんなで選挙することだと答えるであろう。それも、民主主義の一つの現われであるには相違ない。しかし、民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。民主主義の根本は、もっと深いところにある。それは、みんなの心の中にある。すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。
表現するのが難しいのだが、全体を通してある種の手触りや質感が感じられ、現代の教科書と比較しても、興味深い記述が続く。もちろん、古代ギリシャやアメリカ、フランスなど民主主義の歴史や、三権分立といったテクニカルな記述も網羅されている。このような記述が可能になったのは、法哲学者尾高朝雄ら当時の一級の知識人が執筆に関わっていることや、ある種の経験に裏打ちされた社会の風潮を敏感に反映し、さらにそれが民間情報教育局や政治の意向とも合致したからというほかないだろう。
日本政治には、民主主義の共通感覚とでもいうべきか、ある種の手触りや固有性、質感が乏しいように感じられる。そこには前述のような歴史的な経緯もあれば、政治と教育(さらに文部省と現場の教師等)のその後の激しい対立の歴史を踏まえた両者の「中立」なども関係する。そのなかで、『民主主義』は、日本人が、そして日本社会が全体として民主主義に向き合った/向き合わざるをえなかった時代のある種の共通感覚を感じ取ることができる稀有な教材といえる。
ただし、ここでいいたいのは、『民主主義』の内容を継承すべき、という素朴な話ではない。参照して、議論し、超克の素材とせよ、ということである。この点の詳細は改めて言及することにしたいが、素朴な継承はいうまでもなく陳腐である。たとえば安全保障環境は変化した。テロのリスクも顕在化しておらず、そもそも冷戦の足音がようやく顕著になってきた時期でもあるから、その内容や記述を直接引き継ぐというのはおかしい。この教材も参照する素材のひとつとし、執筆の時代背景、このテキストが書かれた経緯、そしてその後の経緯と現在までの政治と民主主義の発展と課題等々を議論し、ある種の「相場観」でもある「民主主義の共通感覚」を醸成すべきではないかということである。
そのようなことを議論の遡上にあげるのは、憲法改正の発議が迫っているように思われるからだ。簡潔に確認しておくと、日本国憲法第96条は、憲法改正の発議を衆参両院の3分の2、その後の国民投票の過半数で可能と規定している。衆院は現在すでに改憲を主張する与党などで3分の2を満たしているから、今夏に迫る参院選の結果次第ではーーたとえば、前回と同程度に自公が議席を獲得し、おおさか維新など改憲を主張する勢力が少数議席を獲得すれば、十分に3分の2を満たしうる。そして、2017年は、日本国憲法施行から70週年ときりもよい年である。このような諸条件に目を向けてみると、これまで日本社会が一度も経験していない憲法改正の発議というのは、かなり現実味を帯びているようにも思われる。
改憲を選択するにせよ、護憲を選択するにせよ、日本社会と日本人が、現行憲法下において、実質的にははじめて、直接憲法と向き合い、そのありようを選択することになる。その結果、護憲が選ばれるにせよ、改憲が選択されるにせよ、日本の民主主義のあり方にとって重要な機会であることは疑いえまい。そこで思い出されるのが、先ほどの「民主主義の共通感覚」の不在という主題である。憲法改正の是非を問う国民投票の具体的手続きを定めた国民投票法の規制は、一般の選挙の手続きを規定する公職選挙法よりもかなり弱いものになっている。投開票日の投票運動が可能であったり、配布物の制限の乏しさ、テレビ広告などについて、むしろ似ているのは、大阪都構想の是非を問う住民投票を規定した大都市地域特別区設置法であろう。これらを踏まえると、憲法改正の発議がなされた状況のもとでは、大阪都構想の是非をめぐって、肯定派と反対派が大阪で繰り広げられた大規模な選挙戦、メディア戦が全国規模で、より激烈に繰り広げられるとも考えられる。
ある意味では、アメリカの大統領選挙とも似ているが、「民主主義の共通感覚」のみならず、民主主義や政治の状況を理解する道具立てさえ乏しいのだとすれば、そのような「有事」のなかで、生活者は冷静に憲法改正の是非を判断することができるのだろうか。そもそも関心を持つことさえできるのだろうか。やや壮大な話になってきたが、しかし現実味を帯びてきた、このような政治的状況に対応するためには、一見遠回りだが、着実に「民主主義の共通感覚」や「民主主義を理解する道具立て」を社会が、生活者が獲得していくことにほかならないように思える。そのためのひとつの手がかりとして、『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』は貢献できるところが少なくないように思う。
今回の復刊にあたって、分量の関係から、現代的意義や筆者の個人的関心(宣伝とメディアなど)に基いた抄録とせざるをえなかった。また冒頭と巻末に解説を加え、読みやすくするように改行を増やし、また各章の終わりには「考えてみよう」という問いを立ててみた。大学の基礎ゼミや初年次教育、あるいは中等教育の総合学習の時間、社会教育の現場などにおいて、誰でも手軽に、議論やワークショップをできるようにという試みである。そして、なにより新書という、比較的安価で部数も出て、流通しやすいパッケージを採用した(これが可能になったのは、幻冬舎のおかげである)。なお、本書は原著を古本で比較的安価で入手できるし、原著にかなり忠実な収録ということでは、径書房版が発売されている。筆者も数年前、この版で初めて、本書を読んだ。もし気になった方はあわせて手にとっていただきたい。

2016年2月3日水曜日

東京工業大学大岡山生協購買さんにて、『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』 (幻冬舎新書)フェアを開催いただいています。


いつもお世話になっている、また研究室がある東京工業大学の大岡山キャンパスの生協購買さんにて、『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』 (幻冬舎新書)フェアを開催いただいています。


東工大大岡山生協のアカウントの人が「中の人も読みますよ〜」と書いていただいていますが、事実、いつもお世話になっているカウンターの方々が目の前で購入いただいて、むしろ恐縮しきりでした(しかもリクエストに応えてサインさせていただきました・・・(汗))。

企画台で、『メディアと自民党』(角川新書)や、ちょうど「建築論壇」での鼎談に参加している『新建築』、『無業社会』(朝日新聞出版)、『「統治」を創造する』(春秋社)など、関連書籍を、POPとプロフィール、写真付きで展開いただいています。さらに、現在出版社在庫のみになっているらしいネット選挙関連本なども注文いただいているとか(こちらも出版から期間が経ち、今年選挙イヤーでもあるので増補版文庫とかにしたいです・・・)。

2月、3月と、いろいろなメディア展開、イベント展開が予定されています。各所での販促活動に貢献させていただければと思っておりますので、ご相談いただければと思います。

2016年2月1日月曜日

『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』(幻冬舎新書)順調な出足?


1月末に発売された『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』(幻冬舎新書)ですが、日曜日に朝日新聞に広告が出ました。

さすがに3日で重版したというイケダハヤトさんの新刊には及びませんが、「政治学」や「中学校の社会」(!)というマニアックなカテゴリでは、Amazonランキング1位を獲得するなど、なかなかの健闘を見せているような気がします。


これがウワサに聞く幻冬舎さんの営業力の効果なのでしょうか。それとも、瞬間最大風速的なものなのかは、わかりません。いつもお世話になっている東京工業大学大岡山生協にも入荷したようです。楽しみです。


SFC時代にお世話になった国領先生もページを開いて下さったみたいで嬉しいです(これも踏まえた自分の仕事も頑張らなくては・・・)。



販促で貢献できることがありましたら、いつでもお声がけ下さい。