2015年7月31日金曜日

「戦後レジームからの脱却」とはなにか

戦後70年を迎えて、「戦後レジームからの脱却」への注目が集まっている。「レジーム」は、分野によってやや異なった含意を持つが、法律や制度よりも広い意味で、政治体制、政体を指すときに使われている。たとえばYahoo!を「戦後レジーム」というキーワードで検索してみると、最近でも活発な議論が交わされていることがわかる。
だが、最近の日本政治固有の文脈では「戦後レジームからの脱却」はいうまでもなく、安倍首相の主要な価値観であり、キャッチフレーズでもある。そして、もとを辿れば、自民党の結党理念でもある。そして、その主要なターゲットは、今も昔も変わることなく、日米安保の安全保障体制の再検討と高機能化や憲法改正、歴史観でありつづけている。そして左派もそれに反応するかたちで、激烈な拒否反応を示し、最近ではデモや各種抗議活動も活発化しているように見える。
しかし、以前から不思議に思っていることがある。経済学者の野口悠紀雄(『戦後日本経済史』『1940年体制――さらば戦時経済』)や社会学者高原基彰(『現代日本の転機』)らをはじめ、多くの論者が提示してきたように、「戦後レジーム」の残滓は日本の社会経済政治等の各システムの随所に見られる。我々の働き方や労働、政治、メディア、社会福祉の慣習の少なくない部分が総力戦体制下や戦間期に形成されたことはよく知られている一方で、それらの改革は遅々として進まない。有権者の多くが、いろいろな主題をすぐに忘れてしまう、あるいは選択肢の不在のなかで選択それ自体を諦めてしまうという悪弊もある。
安保法制の採決プロセスを忘却/記憶できるのか(西田亮介)- Y!ニュース
「政治感情」と受け皿としての野党(西田亮介)- Y!ニュース
外交や憲法改正は変数と制約が多く、実現のハードルは高い。それらにくらべると困難ではありながら、しかし相対的には変数の少ない日本国内の社会システムの改善も右派左派の、そして与党野党の声高で古典的な対立のなかで、棚上げされているこの構図こそが、日本の「戦後レジーム」なのではないか。理念的な、そして非現実的な主題も良いが、戦後70年を機会に、こうした「戦後レジーム」からの脱却が議論されればよいと思うのだが、どうか。

2015年7月28日火曜日

IPOの件数増と「スタートアップ・ブーム」

 経済誌をめくれば、スタートアップ企業と起業家特集が喧しい。スマートフォンを開けば、ニュースアプリがスタータップと起業家がいかにイノベーティブな存在かを強調している。いや、ソーシャルメディアでは、当事者からそのビジョンが提示される。国も産業政策として、起業を促進している。

 IPOの件数に目を向けてみよう。一般社団法人ベンチャーエンタープライズセンターの『ベンチャー白書 2014』は、過去5年間のIPO件数を2014年が77件、2013年が54件、2012年が46件、2011年が36件、2010年が22件と3倍以上になったことを指摘する。これはやはり、日本でもいよいよ本格的なスタートアップ・ブームが訪れたということなのだろうか。

 データも含めて注意深く見る必要がある。業界に長くコミットしている人はよく知っているが、IPO件数を10年期間で見ると、改善傾向にはあるものの、激増しているとは到底いえない。というのも、IPO件数の直近の底が、2009年にあるからだ。2009年といえば、前年の米大手証券会社リーマン・ブラザーズの破綻に伴う世界的な不景気の影響下にあった年である。いわゆる「リーマン・ショック」である。

 2009の年のIPO19件。確かに底を脱してはいるものの、過去最高の盛り上がりを見せているとまではいえない。2006年のIPO件数は188件、2005年が158件、2004年が175件である。直近のピークは、ITバブル崩壊直前の2000年の203件である。当時はホームページ作成や「高速」インターネットサービスを営業、販売する業態の起業が盛り上がりを見せていた。

 当時の時代の寵児たちも、著書やメディアを通して「スタートアップの時代」である旨を公言していた。IT系の起業家たちが頻繁にメディアに登場しはじめたのもこの時期である。2001年から2004年まで続いた『マネーの虎』など、起業家にフォーカスした番組もあった。プロ野球球団や放送局の買収を巡って、騒動になったりもした。

 現在の状況とよく似ているとはいえまいか。スマートフォン向けアプリの開発と、かつてのホームページ制作業はある意味ではよく似ている。確かに小規模で、早い意思決定のもと、新しいメディアにコンテンツを作る・・・

 また、やはり一般社団法人ベンチャーエンタープライズセンターの手による『平成25年度創業・起業支援事業 (起業家精神と成長ベンチャーに関する国際調査) 「起業家精神に関する調査」報告書』がある。この調査は、GEMGlobal Entrepreneurship Monitor)調査という起業家精神に関する国際比較調査の一環として実施されている。起業活動率という指標があるが、この調査では実態を公開している67の国・地域のなかで下から2位である。そして、この傾向は一向に変わらない。

 金融緩和の金余りの傾向のなかで、投資先を探す声もよく聞く。投資側には投資側の、投資すべき予算のノルマがある。そのうち一体何社が、ビジネスとして将来像を描けるだろうか。起業家にとっては事業がうまく行かなければピポットするなり、新しい事業を立ち上げるなりすればよいのかもしれない。だが、投資家、とくに個人投資家にとっては、看過できない問題である。


 IPOの件数も、各社の営業資料では、2010年という数字や「過去5年分」という意味でもキリが良いからか、数字が良いからか、2010年以後の右肩上がりになったものをよく目にする。技術、資金の流入は激変するが、社会や商習慣の変化は圧倒的に遅い。経路依存性も強い。リスクテイキングには精査が必要であるという常識は、今も昔も変わらないままだ。

#Mitsubishi #Galant Fortis Sportback Ralliart

Nishida, Ryosukeさん(@ryosukenishida)が投稿した写真 -

2015年7月27日月曜日

「政治感情」と受け皿としての野党

最近、内閣支持率の急落と、賛否の逆転が話題になっている。
ここに来て野党が活況づいているように見える。ようやく、自分たちの出番が来たかのように。
筆者の認識は、政治に内外の競争に基づく「緊張感」があったほうがよい、もっとも強力な緊張感は、実際に政権担当能力があると「有権者が感じられる」オルタナティブの存在によってもたらされるというものである。
ここで重要なのは、野党自身が「政権担当能力がある」と主張することではなく、有権者が政権担当能力があると認識できる、ということである。そこには信頼や実績、政策提言などの合理的な側面と、必ずしも合理的とは限らない情緒的側面が同居している。
果たして、有権者は、どのように政府与党と、オルタナティブとしての野党を認識しているのだろうか。数ある世論調査の結果でも、毎日新聞社の政治感情に関する質問項目を導入した世論調査が興味深い。
毎日新聞世論調査:内閣支持率急落、政治感情の変化鮮明に ポジティブ層が「反安倍」シフト- 毎日新聞
この政治感情に関する項目は、2014年の衆院選における毎日新聞社と筆者によるネット選挙の共同研究・報道の際にも導入した。
2014 衆院選:イメージ政治の時代――毎日新聞×立命館大「インターネットと政治」共同研究(その1)- 毎日新聞
このときは、有権者の傾向は、「現在の政治に対してネガティブな感情を持つものの、現内閣支持」という一見、捻れたものであった。政局に対していら立ちを感じるものの、それでも野党が受け皿になりうる存在とは多くの有権者はみなしていないと見ることができた。
ところが、今回は有権者の趨勢が「現在の政治に対してネガティブな感情を持ち、現内閣不支持」という分かりやすい状態に舵を切りつつある。筆者は合理的な解が見えにくく、また生活主題とも縁遠い安保法制はサイレントマジョリティにとっては、態度表明しにくい主題なのではないかと述べたが、もしかしたらそうでもないのかもしれない。
安保法制に態度表明する難しさ(西田亮介)- Y!ニュース
ただし、現状では野党に対する感情の調査は見当たらないように見える。そのため、果たしてこの状況を有権者がどのように認識しているのかは明確には分からない。
同様の政治感情について、野党についても尋ねてみればなお面白いと思うのだが、どうか。

2015年7月25日土曜日

Nikkei Inc. announces it will buy venerable Financial Times in ¥160 billion deal

昨日の昼コメントして夕方には公開されました、今朝付で紙面掲載されたとか。速いなあ。

Nikkei Inc. announces it will buy venerable Financial Times in ¥160 billion deal | The Japan Times

http://www.japantimes.co.jp/news/2015/07/24/business/corporate-business/nikkei-buys-financial-times-1-3-billion-deal/#.VbL4KV-Aa4s.twitter

日本経済新聞社とフィナンシャル・タイムズの「温度差」

日本経済新聞社による英フィナンシャル・タイムズの買収が大変な話題になっている。
攻めの日経 英FT買収の成否- Y!ニュース (2015年7月24日(金)掲載)
日本経済新聞社による英フィナンシャル・タイムズの買収は日本の新聞社の構造改革の端緒になるか(西田亮介)- Y!ニュース
どのようなメリット、デメリットが考えられるのだろうか。日経と日本のメディアの視点から考えてみたい。まず日経にとっては、グローバル・ブランドを手に入れるというメリットがなにより大きい。ブランド価値を、単純に株価や営業利益で計算することは難しい。かといって、育てるには時間も、費用もかかる。何とかして、「リーズナブルに」獲得したかったというのが本音だろう。
FT買収額Wポストの5倍、営業利益の35倍-株価評価反映せず(Bloomberg)- Yahoo!ニュース
とくに、既に述べたように、日本の新聞メディアは、戸別宅配制度に支えられて世界屈指の巨大な発行部数を有する一方で、世界におけるプレゼンスや認知度、とくにクオリティペーパーとしての認知度は高くはないという事情もある。日本の新聞社は比較的長い歴史を持ちながら、基本的には国内でビジネスを展開し、ブランドとしての認知を獲得することに専念してきた。あるいは、国際的なプレゼンスの獲得には失敗してきた。
日経のピアソン社からのフィナンシャル・タイムズのブランドは、その状況に一石を投じる可能性がある。その一方で、直近でビジネスに大きな影響を与えるとは考えにくい。むろん、フィナンシャル・タイムズのコンテンツを邦訳したり、今回オンライン媒体も買収の対象に含まれているので、それらの日本語化はすぐさま取り組むことが可能な事業でもある。だが、それらが直近で大きな売上につながるとも考えにくい。日経はフィナンシャル・タイムズの編集権の独立も明言している。したがって、すぐにコンテンツの制作過程や広告の制作過程に介入して、今まで以上に積極的な収益化を求めておくということもできなさそうである。そしてそのような条件では今回の買収の合意には至らなかっただろう。
その意味では自動車メーカーのブランド売買と似ている。自動車ブランドと現在の親会社の関係は現在では元々のバックグラウンドを越えて遥かに複雑なものになっている。シナジー効果や収益性等々の事情によって売買収が行われていく。果たして、ジャーナリズムやメディアが自動車と同じように売買されてよいものかどうかという議論はさておくとして、今回の売買収もそのように捉えるのが一番わかり易いのではないか。
ただし、日経のブランディング強化が国内に留まるなら、やや残念に思える。もっともわかりやすいのが昨今の国内のグローバル化を待望する風潮に乗じたかたちで、フィナンシャル・タイムズ・ブランドを活用して国内でブランド力を強化することであろう。それだけでは1600億円という高い買い物の潜在的価値を十分に引き出せているとも思えない。
ここはやはり日本のメディア・カンパニーの国際的なプレゼンスの拡大と、既にシビアなメディア環境の激変期を経験してきた海外メディアの取材、報道技術、ビジネスモデル、リストラ等々のノウハウを学び、イノベーション(イノベータ)のジレンマ状況にある新聞各社のイノベーションの試金石としてほしい。その意味では、日経以外の新聞各社も他山の石として注視すべきだ。外資系企業のご経験も長い楠正憲さんなどはやや悲観的な見方をしているが、個人的にはたまには楽観的に期待してみたいところである。
そこで気になるのが、日経とフィナンシャル・タイムズ(ピアソン)の温度差ということになるだろうか。ピアソンの公式なメッセージはフィナンシャル・タイムズブランドを保有してきたことの誇りと、メディア環境の変化のもとでのIT化とグローバル化の重要性が強く表現されている。新しいスポンサーとなる日経に対するメッセージに重きが置かれているとはいえない。
それに対して、日経からは、フィナンシャル・タイムズとパートナーシップを組めることを誇りに感じていることが真っ先に表明されている。
この売り手と買い手の、やや非対称ともいえる温度差のなかで、今回の巨額な買収の「元を取る」ことができるのだろうか。一般的にはこうした温度差の存在は、企業文化の接合や人事制度の統合等といった観点でも難しいといわれている。それでも東芝や三菱自動車の米国現地生産の撤退など、日系企業の不祥事や不振のニュースが相次ぐなかで、久々のサプライズ・ニュースであり、期待したい。また日本の新聞社改革の壮大な実験という意味でも、今後の動向が気になるところである。

2015年7月24日金曜日

日本経済新聞社による英フィナンシャル・タイムズの買収は日本の新聞社の構造改革の端緒になるか

日本経済新聞社による英フィナンシャル・タイムズの買収が、当の日経からもアナウンスされた。
日経、英FTを買収 ピアソンから1600億円で:日本経済新聞
日本のメディア企業の挑戦として素直に喜ばしい。日本の新聞各社は発行部数でこそ世界でトップクラスの座を占めている。2011年時点でみると、世界の新聞発行部数の1位~3位、5位にそれぞれ読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞がランクしている。
しかし、その一方で、日本語という言語の問題もあり、基本的にはビジネスの大半を国内を対象としてきた。言い換えると、メディアとしての存在感、プレゼンスも基本的には国内に留まっていた。発行部数の規模とは合致しない。
その意味では今回の買収は、日本の新聞社による、名実ともに世界トップクラスの経済紙の買収という挑戦であり期待したい。
とくに下記の記述の具体性はやや気になるところでもある。
両社は記者、編集者をはじめとする人的資源や報道機関としての伝統、知見を持ち寄り、世界的に例のない強力な経済メディアとしての進化をめざす。
出典:日経、英FTを買収 ピアソンから1600億円で:日本経済新聞
日本の新聞社の課題(の少なくとも一部)は、旧態依然としたコンテンツ(の文体や筆致)、やはり伝統的な報道手法とガバナンスの慣習、コンテンツとビジネス基盤のアンバンドリングにある。
なぜ、メディアの選挙報道は有権者に伝わらないのか――客観報道に加えて、意味内容の解説を(西田亮介)- Y!ニュース
新聞の戸別宅配制度のない英米圏の新聞各社は、既に幾度かの激変期を経験済みである。80年台頃からのニューメディアに対するコンテンツ提供の試行錯誤、ネット対応、そしてリストラと売買収に伴うスリム化と人件費削減、ビジネスモデルの変質である。日本の新聞各社は、控えめにいってみてもいずれも中途半端に留まっている。ポジティブに捉えれば、読者の「信頼」と戸別宅配に支えられて変わらずにいられた。ネガティブにいえば、その基盤に支えられるがゆえに相対的に規模が小さい新領域への対応に失敗するという、アメリカの経営学者クレイトン・クリステンセンがいうところの「イノベーション(イノベータ)のジレンマ」状況にある。
今の大学生以下の世代には、就職活動の時期を除くと、新聞を読む習慣が形成されていない。現行の新聞各社のビジネスモデルはいつまで持続可能なのだろうか。
今回の日経新聞社の挑戦は、確かに新しいコンテンツやビジネスモデルも気になるところだが、メディア環境や背景、ビジネスモデルは違えど、シビアな変化に晒されてきた海外メディアの経験を活かし、日本の新聞社の構造改革の端緒になるかという点にも注目したい

第9回インターネット講座【THE SALON】『開かれる国家〜境界なき時代の法と政治〜』

再掲。7月29日19時〜@角川第3本社ビルです。


2015年7月21日火曜日

『ターミネーター 新起動/ジェニシス』





今年は既に公開されているマッドバックスはじめ、80〜90年代ハリウッド超大作のリメイクや続編が次々出るので、まあ、楽しみにしていたわけだけど、特報からもわかる一抹の不安感はまったく払拭されていなかった。ジョン・コナー、カイル・リース、サラ・コナーの配役が、もうちょっと何とかなったのではないか。シュワちゃん以外にも、あまりに色濃くキャラが印象づけられている世界観なので、『T3』的な悲しみという他なかった。T4や『サラ・コナー・クロニクル』のように、うまく継承できた作品はいずれもシリーズが完結せずに終了してしまった。ラストは一瞬シリーズ終わったと思わせるが、そこはちゃんと最後に仕掛けてありました。とはいえ、オマージュ満載で、映画館でもそうだったけれど、当時リアルタイムでT1、T2を楽しんだ年長世代が多く、関西の映画館で観たからかもしれないが上映中にツッコミや笑い声が上がったりしていた。その意味ではビジネスとしてはこれでよいのかもしれない。『AVP』シリーズのエイリアンとプレデターみたいに、続いていく予感がした。

2015年7月20日月曜日

安保法制の採決プロセスを忘却/記憶できるのか

7月16日に安保法制の衆院での採決が行われた。政府与党と野党の温度差と隔たりは大きく、安倍内閣の支持率低迷を招いた。
<本社世論調査>内閣支持率急落35% 不支持51%(毎日新聞)- Yahoo!ニュース
安保法制の議論が支持率急落を招いたことは疑いえない。筆者の関心は、有権者が、次の(国政)選挙まで、この安保法制の採決プロセスを忘却/記憶できるのか、野党がそれまでに経済成長とセーフティネット拡充の両立を、政治的/政策的な意味で現実的に描いた選択肢を提示できるのかということにある。
安保法制に態度表明する難しさ(西田亮介)- Y!ニュース
両者は鶏と卵の関係に似ている。選択肢がないから、国政選挙まで記憶できないのか、記憶できないからオルタナティブが勢力を伸ばせないのかという問いの答えは自明ではないが、足元が脆いと言われつつも自民党の一人勝ち状態は続いている。
前回の2014年衆院選時に毎日新聞社と筆者は世論調査に政治感情に対する質問を取り入れ、「現在の政治にネガティブな感情を抱きつつも、現政権を支持する」という捻れた状態があることを明らかにした。
衆院選:有権者…政治にいら立ち、あきらめの感情も- 毎日新聞
「現在の政治にネガティブな感情を抱きつつも、現政権を支持する」という状態は、どのように変化するのだろうか。現在の政治とメディアはどうか。政治の状況は大きくは変わっていない。古典的な対立図式が観察されるように思われる。
メディアはどうか。安保関連法案の衆院通過の、翌7月17日には、デザインとコストで迷走していた東京五輪の新国立競技場の計画の白紙撤回を表明するなど、「首相のリーダーシップ」を印象付けるメディア・イベントが続いている。
一般にマスメディアは紙幅/番組放送時間に限界があり、話題性の高いニュースを優先しようとする性質がある。逆に政治広報は、その性質を活かして、広まってほしくない、ネガティブなニュースがあるときは情報発信量を増やす。ネガティブな情報を、大量の情報で「希釈」してしまおうというわけだ。新聞の朝刊の出稿時間等まで逆算するという。
筆者は「イメージ政治」と呼んでいる。有権者が急な解散や複雑な政局のなかで、政治に対する理解や認識を形成できず、また政治もそこに付け込んで印象獲得に積極的になるといった理由で、「イメージ」に基いて政治が駆動する状態のことである。
政治マーケティングの戦略と技術は向上し、情報化社会におけるスピンドクターたちは、「データに基づくイメージ政治」を実践する一方で、デコード(解読)するジャーナリズムは遅れをとっているという認識である。
他方で、意外にも自民党は、短期的な支持率よりも法案成立が重要という古典的な態度を示している。
<安保関連法案>「支持率犠牲にしても成立を」自民副総裁(毎日新聞)- Yahoo!ニュース
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではないが、移ろいやすい有権者の関心や集中力を念頭においていると思われる。
政治の状況が大きく変化しない以上、有権者は安保法制の採決プロセスを忘却/記憶できるのか、ということが重要になる。ボトムアップによるものか、組織的な関与があるのかはよくわからないが、「反安倍内閣」の動きは、少なくとも印象獲得という水準では意外と継続している。
社会学者の遠藤薫は、複数のメディアが相互参照しあうような現代社会の特性を「間メディア社会」と呼んだが、デモをファッショナブルに実施し、そのデモを撮影し、ソーシャルメディア上のハッシュタグで記録拡散し、それを既存メディアが取り上げるという一連のサイクルが生じている。
日本よりもネットが普及した韓国では、2000年代前半の大統領選挙で落選運動が影響した。筆者の認識では、日本では一部のケースを除き、オンラインの落選運動が、政治の動向に顕著な影響を与えるまでには至っていない。
だが、前述のように、少々状況も変わり始めているようにも見える。政治は与党野党ともに古典的な状況だが、メディア環境の変化は早い。とくに日本のように、マスメディアのインパクトが強力な社会では、マスメディアが動くと一気に動く。マスメディアがネット、とくに「リアルタイム」の、ソーシャルメディア上の情報を参照することが近年急に増えた点である。
果たして、大量の政治情報が溢れるイメージ政治下のもとで、わたしたちは次の(国政)選挙まで、この安保法制の採決プロセスを忘却/記憶できるのか、それとも「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という政治の古典的な有権者観が正しいのか、注目したい。

2015年7月17日金曜日

安保法制に態度表明する難しさ

安保関連法案が衆院を通知した。衆院の優越にもとづく「60日ルール」もあり、余程のことがない限り、成立が見込まれる。
安保法案が衆院通過- Y!ニュース (2015年7月16日(木)掲載)
今回の問題について、どのような理由に基づき、どのように態度表明すれば良いのか、よく分からずにいる。そんな人は少なくないのではないか。ちなみに意見対立が激化する主題について、多くの人は態度表明せず、「沈黙」する(沈黙後、メディアの論調に影響を受ける。現代日本の場合、どのメディアだろう?)というメディア論の考え方もある。筆者も同様で、勤務先でも、「~反対する学者の会」的なものができたが参加は見合わせた。
「いや、理由はともあれ、戦争への道が用意されている。まずは反対すべきだ」というのがリベラル陣営の見解なのかもしれないし、なんとなくそんな雰囲気もある。そうなのかもしれないが、どうもそういうものに与する気分にもならない。
反対にあたって、「100%とはいかずとも、80%くらい、つまりだいたいはあっている」という論理がほしい。それが見当たらないから、迷うのではないか。なぜ、どのあたりで逡巡しているのか、そのプロセスを述べてみたい。
今回の「解釈改憲」と安保法制は確かに憲法学的には少なからず問題がある。少なくとも、従来までの議論との整合性に課題があるように思える。他方、日本の安全保障態勢は、従来から安全保障環境の変化への「適応」を優先してきたということもまた事実である。かねてから自衛隊、60年安保、周辺事態法等々、「合憲」の「実績」を積み上げてきた歴史的事実もある。同時に、その結果/それでも、それなりに「平和」が維持されてきたという「実績」もある。
つまり、過去を振り返ってみると、安全保障環境の変化への「適応」という命題が、折々の合憲性に「優先」してきたように見える。おそらく、安保法制に賛成の立場をとる「プラグマティック」な立場の人たちはこのような認識に基いているのではないか。
現在の「解釈改憲」の違憲性を声高に主張するという反対派のアプローチについて、大きな疑問が残る。現行の日本の安全保障態勢と実績をどのように評価するのかという点である。
「現行の安全保障の実質的態勢はそれなりに評価/支持するが、今回の安保法制に反対する」という立場を擁護する、強い論理はあまり自明でないのではないか。そして極端な変化を好まないという視点からすると、このような立場がマジョリティではないかと思うのだ。筆者もこのような認識でいる。
そこで冒頭の問いに戻る。このような立場を取るとき、どのような理由に基づいて、今回の安保法制に態度表明すれば良いのかという問いである。
鍵は、実質的な正統性の所在の不明確さにあるのではないか。つまり前述の点を念頭に置いても、安保法制は14年衆院選や13年参院選での中心的公約や争点にはなっていたとはいえないことは疑いえない。直近の衆院選はアベノミクス(消費増税)が争点であり、13年参院選はあまり噛み合わなかったが、原発再稼働賛成/反対が論点だった。
つまり、多くの有権者にとって、選挙で安全保障態勢の大きな変化という重要な問題について、曲がりなりにも説明がなされ、態度表明したという実感がないのではないか。その意味で、与党の強行採決の正統性に強い違和を覚える。
したがって、次の国政選挙(16年参院選、あるいは意外と早くあるかもしれないという衆院選)まで、今回の出来事を忘れないことが何より重要だろう。
ただし、やはり立憲主義と現行の安全保障の両立について、ごく一部の専門家以外は複雑過ぎて、議論するどころかそもそも大雑把にも理解することが難しいという点にも問題があるように思える。政治的に安定したタイミングで、理想と現実を擦り合わせつつ改憲が試みられても良いと考えるが、近い将来に、いつかそのような時期が訪れるのか、ということに思いを馳せるとやや懐疑的にならざるをえない。

『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』見本誌到着



先日の門脇さんとの対談@下北沢B&Bも、途中、建築界でのシェアの伝道師(?)、猪熊純さんもご登壇いただき、「作らない建築」や「コミュニティデザイン」的なものへの批判にも飛び火しながら、盛り上がりました。

http://ryosukenishida.blogspot.jp/2015/07/7152022bb.html

下北沢B&Bさんでは当日、20冊近く売れたのだとか。ビジネスの世界では、「今さらシェア?」という雰囲気も否めないかもしれません。改めて考えてみるきっかけになるとともに、時代を反映した概念やアイコンを造形やデザイン/ビジネスに反映する建築などの世界もあるので、確かに括弧付きであるがゆえにベタに受け取ると危なっかしい側面こそあるものの、「シェア」はユニークな問題系なのかもしれません。


2015年7月16日木曜日

2015年7月29日19時〜@角川第3本社ビル9F 第9回 角川インターネット講座「THE SALON」

今月末に、角川インターネット講座第12巻『開かれる国家~境界なき時代の法と政治~』の刊行記念イベントがあります。

監修者の東浩紀さんの基調講演後、東さん、国際政治学者の五野井郁夫さんと鼎談します。価格が8000円とちょっとお高いのですが、ある意味、タイムリーな話題かもしれません。東さん、五野井さんと3人で話すのもはじめてなので、楽しみです。

申し込みはこちら→
http://kci-salon09.peatix.com/

2015年7月14日火曜日

18歳選挙権を考える――本質的な問題の解決が若者の政治参加を促す

春頃、収録したインタビューがWebでも公開されました。今もだいたい同じようなことを考えています。どこかでちょっとまとめるべきですが、基本的には初等中等教育の正課のカリキュラムを少々いじったところで、実質的で、機能的な有権者/主権者教育は難しいと考えています。授業の総枠を増やすとなると、競争になるからです。既存カリキュラムの充実、外国語教育の充実、最近だと起業家教育なども入ってくるでしょうか。そのような環境のなかで、果たして主権者教育のために十分な時間を確保できるか、教材が用意できるかとなると、これはなかなか難しいだろう、と。本来、こういった実務的な側面も議論してから決めても良かったと思いますが、さて、では、具体的に誰が担うのか、という話になると、これは日本ではメディア各社が取り組むというのがいいような気がしています。あまり賛同を得られたことはありませんが・・・

18歳選挙権を考える――本質的な問題の解決が若者の政治参加を促す http://www.d3b.jp/politics/5471

2015年7月12日日曜日

7月15日20時〜22時@下北沢B&B 門脇耕三×西田亮介 「 「シェア」って、建築や政治、愛や制度とどう関係があるのですか?」

7月15日20時〜22時@下北沢B&B 門脇耕三×西田亮介  「 「シェア」って、建築や政治、愛や制度とどう関係があるのですか?」

建築家の門脇耕三さんと下北沢のB&Bにて対談します。以前、三宅洋平さんと対談したことがありますが、久々の下北沢です。

この対談は、門脇さんが監修された『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』の発行記念ということになります。ご承知のとおり(?)、ぼくは個人主義者で、あまり人と何かを分けあって嬉しいとかいう感覚を持ちえておらず、そういったものに対して大抵懐疑的ですが、ちょっと皮肉気味なエッセイを寄稿しています。ぼくのエッセイはさておき、千葉雅也さんらのインタビューも収録されているとか。その辺りは見所なのかもしれません。個人的にはもっと制度の話をすればよかったのだろうか、などとちょっと反省しています。

それはさておき、門脇さんファンや建築好きの人は、ご記憶かもしれませんが、実は門脇さんとはこれまでに何度か対談したことがあります。ただし、いずれも大学主催のイベントや建築関連のイベントなどコアなものでした。B&Bさんはもっとカジュアルですので、ご都合あう方は遊びに来ていただければと思います。

申し込みは下記公式サイトから
http://bookandbeer.com/event/20150715_bt/



2015年7月8日水曜日

年長世代の仕事とキャリア環境が変わることの意味――『AERA』「日本から課長が消える?」特集から

授業の冒頭は、小咄から始めることが多い。
小咄といっても、別に大したものでもないし、オチがあるわけでもない。日常の気付きや、最近のニュースから、「みんな、知ってる?」といった程度のものである。
ちょっとしたお役立ち話といったところだろうか。ここで書いている内容も大抵そのように作っているので、似たような話をすることもある。
先日、下記のような、ごく控えめ、かつ、婉曲的に、就活中、就活を控えたみなさんにちょっと考えてみてほしいなあなどと思うところを書いてみた。
「就活」や、自分が参加している/参加せざるをえない「ゲーム」のルールの把握に努めよう(西田亮介)- Y!ニュース
同様の話を枕にして、いつものとおり、幾つかの授業で小咄にしてみたのだが、すこぶる反応が悪い。あまりに回りくどくて、もっと直接的なメッセージのほうがよいのかもしれない。しかし、それだと自分の頭で考えることにならないしなあ、などと逡巡していた。
余談だが就活について学生にメッセージを発することの難しさは、一般に学生は教員を(労働)市場の外の世界の存在と見ている、少なくとも自分たちのキャリアとはあまり関係ない存在と見ていること、1から10まで先回りして言及してしまうと、自分で判断して意思決定する機会にならないことなど多岐にわたる。
そんなとき『AERA』誌の今週号が、「日本から課長が消える?」という特集を組んでいた。
課長職は一般論として日本的組織のマネジメントにおける伝統的職位であるとともに、多くの勤労者が目標にする職位でもある。だいたい就労後、15~20年前後で到達するとされている。
だが、よく知られているとおり、多くの組日本型企業や組織において、人材の構成が逆ピラミッド型になっている。年長者のほうが多く、また景気が低迷した「失われた20年」のあいだに、新規採用を抑制したことも影響している。日本型企業のみならず、大学、役所、自治体などで、このような現象が起きている。
それにともなって、~代理、~補佐、~級といった具合に昇進と昇給を形式的に作り出す措置が取られてきた。だが、さすがにそろそろそれも限界を迎えつつあるということだろう。その現象を『AERA』誌特有の切り取り方で取り上げているというわけだ。なお本特集は「NEWSPICKS」とのコラボレーション企画でもある(しかし現在の地方の大学生だと両方とも知らないかもしれない・・・)。
いろいろな角度から取り上げられているが、要約すると以下の3点にまとめられるのではないか。
  • 今や、組織に直接貢献しない/貢献が明確で無い人材に、高給を払う余裕がなくなった。
  • 現状の法制度のもとでは、よほど経営が悪化している企業でない限り大幅な人員削減や解雇はできない。
  • したがって人事制度を変更し、人件費を抑制するほかない。
少々考えてみてほしいのだが、こうした影響は、何も年長者にとどまらない。若年者のキャリアやライフコースのあり方にも、少なくとも潜在的には影響するのではないか、というのが、筆者の問題意識である。たとえば昇給の伸びが年長世代ほど期待できないなら、先行世代と同じように借金をするのはハイリスクかもしれない。
端的な存在が住宅ローンだろう。もし事前の予想通りに昇給ができなければ、住宅ローンは確実に家計を圧迫する。金利変動リスクや、後半に返済額が増額するようなタイプのものを選択している場合は尚更だ。
ごく控えめにいってみても、若年世代は、年長者や先輩のキャリア戦略をそのまま模倣したり、アドバイスを鵜呑みにするのは難しいのではないか。咀嚼して、よく検討する必要はあるだろう。同じ組織や部署で場所を共有していたとしても、異なるシチュエーションにあるのだから、当然といえば当然である。
…というあたりが、冒頭のエントリの背景というか問題意思なのだが、どうだろうか。
4、50代になってから買い叩かれないように、能力向上に努めたい。たとえ勤務先が終身雇用でも。(西田亮介)- Y!ニュース
「就活」や、自分が参加している/参加せざるをえない「ゲーム」のルールの把握に努めよう(西田亮介)- Y!ニュース
ところで、作家城繁幸氏の初期の名著『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』が示唆するように、人事制度に手を付けたら、組織において機械のように何かがうまくいくというものでもあるまい。企業や組織は、あくまで感情的な反応を示す人間で構成された機械的存在に過ぎないなのだから。
むろん納得できない制度が導入されたとき、個々人が逃げ出せるかどうかは、その時点における実績に裏付けられた個々人の価値と価格にかかっているだろう。若年世代もそのリスクに備えるべきではと思うのだが、どうか。
もし読者に筆者のクラスを履修している人がいるとしたら、来週の小咄は、概ねこのあたりを出発点にしてコメントを求めたりすると思うので、何か考えておいてくださいね。