研究室情報【進学、研究生、共同研究等希望者等向け】

西田亮介研究室について (about Dr. Ryosuke NISHIDA's Lab.@titech)
東京工業大学環境・社会理工学院社会・人間科学系 社会・人間科学コース 西田亮介研究室の研究室情報です。
研究室(修士課程、博士課程)への進学、研究生の希望者は、よく読み、 原則として、
十分な時間的余裕をもって事前に連絡し、 個別面談を受けて下さい(海外、遠方在住等の場合はSkypeなどでも可能です)。
(日本語)

(English)

オンラインサロンを始めました。初月無料、社会人2000円/月、学生1000円/月。平日毎日更新。週1選書。月1読書会。
「西田亮介の新書、文庫、雑誌で始めるリベラルアーツゼミ」

2015年6月30日火曜日

BLOGOS1位



昨日のエントリがバズって、BLOGOS1位になりました。こういう話題が1位になるというのは珍しいと思うので、なかなか興味深いものがあります。むろん諸条件が揃ったうえで、とはいえ、瞬間最大風速的にランキング1位になるというのも珍しいので、貼り付けておきました。どうぞよしなに。

『朝まで生テレビ!』の与党議員の出演拒否に見るメディアと政治のパワーゲームの変容
http://blogos.com/outline/119446/

2015年6月29日月曜日

『朝まで生テレビ!』の与党議員の出演拒否に見るメディアと政治のパワーゲームの変容

名物司会者田原総一朗氏のもとで、長く続く、テレビ朝日の名物討論番組『朝まで生テレビ!』(以下、「朝生」)だが、先日6月26日深夜放送「激論!若手政治家が日本を変える?!」の回に、与党議員の出演拒否があった。そもそも番組内容の告知が遅い同番組だが、前日になってもテーマや出演者が公開されない状態だった。その経緯については、下記のWebニュースなどにも簡潔にまとめられている。
田原総一朗、自民にブチ切れ 朝生「不参加」に、机叩きながら「逃げた!」
田原総一朗氏、「朝まで生テレビ!」で自民党議員らの出演拒否を明かす
朝生といえば、1987年に始まった、さまざまなタブーや、激しい対立が生じるイシューに、田原氏の長年培ったネットワークを用いて、賛否両方の論者や当事者を舞台に立たせたうえで、原則生放送、長時間で行う、討論番組の草分け的存在である。
また田原氏もただのジャーナリストではない。自身の著書等で、「3人の総理大臣を失脚させた」ことを豪語する、ジャーナリストである。そして、むろんその完全な実証こそ難しいものの、それだけ田原氏と朝生は政治に少なくない影響力を持ってきたし、タブーに切り込んできた。政治の側も一目置いてきた。
それだけの実績があるからこそ、政治の側も田原氏をインサイダーのひとりとして扱い情報を提供してきたのだろうし、従来の日本の「ジャーナリズム」にとって、こうした情報は不可欠なものでもあったといえる。従来の日本のメディア環境を念頭におくとき、その情報は確かに政治に対峙するパワーの源泉になったはずだ。
ただし、田原氏の名誉のために付け加えておくと、かつて、官房機密費からジャーナリストへの資金提供が明らかになったとき、ただ一人受け取らなかった人物として挙げられているのが、田原氏である。雑誌で対談させていただいたり、朝ナマや、何度かクローズドな会を含めて、何度かご一緒させていただいた主観でも、カネで動機づけられるタイプの人物ではなさそうである。
ただし、やはりメディアと政治の、ゲームのルールが変わりつつあるといわざるをえない。政治の側が、よりメディアを短期的な視点で、かつ積極的に、自らのプロモーションに活用しようとしているように見える。言い換えるなら、共存・協調関係から、対立・コントロール関係へと舵を切っている。政治はメディアに対して、戦略的に対峙するという態度をより鮮明にした。それに対して、メディアの側はあまりに無力かつ、伝統的な報道手法の範疇に留まっている。
出演拒否というのは、考えてみれば、メディアの機能を考えてみれば実に効果的な手法でもある。田原氏のメディア的、政治的パワーの源泉のひとつが、「対立する陣営を、ひとまずひとつのテーブルにつかせて、議論させる」ことにあるとするなら、見事にその弱点を突いている。これまでインサイダーにおいたメディア関係者との長期的な信頼関係づくりが、両者にとってメリットがあったが、場合によっては、そのゲームには乗らないというメッセージといえる。それは田原氏の朝生であっても例外ではない、ということが端的に示されている。
また自民党と公明党を欠いた番組のもとでは、評論家らに野党の出演者が撫で斬りにされる構図となった。冒頭などにも説明があったように、本来は出てこない与党の問題を考えるべきだが、しかし、実際に出演したがゆえに、露呈してしまった野党の「弱さ」を目にしたとき、「実際には目にしていない」与党に対する批判は野党への支持へとつながるだろうか。甚だ心許ないものである。
ここでも、これまで幾度かにわたって、メディアの変容について、扱ってきた。
NHKとテレビ朝日の聴取は、歴史的に見ても、業界自粛を促す、政治からの効果的なアプローチ- Y!ニュース
NHKとテレビ朝日聴取問題における政治からメディアへの「圧力」の本質はどこにあるのか- Y!ニュース
社会に政治を理解し、判断するための総合的な「道具立て」を提供せよ――文部省『民主主義』を読んで- Y!ニュース
むろん、田原氏に象徴される、従来型ジャーナリズムにもメリットとデメリットがある。そのメリットを継承しつつ、デメリットを補完する手法を開拓することが、とくに規模の大きな従来型マスメディアにとって、経営的にも、国民の信頼という点でも急務だろう。

2015年6月27日土曜日

「ニートとひきこもり」

今春、『日本労働研究雑誌』に寄稿した原稿がPDFで公開されました。

西田亮介,2015,「ニートとひきこもり」『日本労働研究雑誌』 657: 72-3.

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2015/04/pdf/072-073.pdf



2015年6月26日金曜日

「学び続けざるをえない社会」時代のキャリア形成――『AERA』と『週刊東洋経済』の学習、大学特集から

今週の『AERA』と『週刊東洋経済』が、前者は「学習社会」(!)の到来と今後のキャリア形成について、後者は早慶MARCH特集を組んでいた。ビジネス誌にとって、いわゆる「教育モノ」「受験モノ」企画は、安定した、季節の風物詩という側面があることは否めない。だが両者をあわせて読むと、筆者も含めた若年世代にとっては、自分と家族に必要な、教育投資とリスクが増大するという意味では必ずしも喜ばしいものともいえない、「学び続けざるをえない社会」像が見えてくる。
『AERA』誌の企画は、東大のi.schoolとのコラボレーションによるものだった。企画は、経営破綻したJALの社員たちの「その後」を描くところから始まる。こうした破綻した大企業や社員のその後を描くのは、経済ノンフィクションの定番でもある。だが、このJALの記事が興味深いのは、パイロットや客室乗務員という一般的なサラリーパーソンと比べても専門性が高く、またその専門職を希望する人が多い職種を対象にしていたところが、少々違うところである。経営破綻したJALでは、パイロットや客室乗務員という職業でさえ、事実上のリストラを迫られたという。その140人の中から、4人の「成功談」と「学び直し」を端緒に、現代日本の「学習社会」化と「学び直し」の必要性を主張する。
『週刊東洋経済』の企画は、早稲田、慶應をはじめとする「早慶MARCH」に注目している。記事いわく、東大の学部出身者は毎年1000人程度だが、早慶MARCHは4万5千人程度であり、「規模がまるで違う」という。この「規模」という切り口は、ある意味では教育に対するビジネスライクな眼差しであり、経済誌的な視点なのかもしれない。L型G型論争など、最近の巷の大学論との相性も良い。同誌の企画は、最近の受験業界の傾向として人口減少で競争圧力が減り浪人してまで上位校を目指さなくなったこと、「早慶MARCH」への進学者に占める首都圏出身者の割合が増えていること、かつて鳴り物入りで導入されたSFCや国際系学部の停滞などが紹介される。もうひとつ、東京と関西を行ったり来たりしながら大学教員をやっている身には、「採用担当者座談会」企画の以下の記述が興味深かった。
いろいろなことの経験値が、首都圏の学生は関西の学生に比べてずっと高い。東京ではTOEIC700点なんてのは当たり前で、留学経験者もざら。大学をまたいだ学生団体やNPOの活動も活発で、学生のうちからさまざまな経験を積んでいる。面接の話題がアルバイト経験くらいしかない関西の学生は、どうしても見劣りする。
大学の立地は重要ですよ。大阪はだんだん産業集積が失われ、ただの地方都市になってきている。関西の学生は、自分たちに集まる情報が東京よりずっと少ないことを知っておかないといけない。
むろん雑誌特集が煽り気味の姿勢で作られていることは承知しているし、両雑誌の企画が物議を醸したことは過去にもいろいろあった。だが、それらを踏まえても、同じ週の両誌の特集は、社会におけるリスクの配置が変化していること、その変化と既存の大学教育や学生の認識が合致しないことを、それぞれ別の角度から提示していると捉えることもでき、少々興味深く読み比べてしまった。
社会や労働市場、教育の変化がどこへ向かっているのか予見することは難しい。だが、だからこそ「他人や先輩と同じで良い」という同調圧力の危険さを読み取ることはできるだろう。ちょうど『AERA』誌の小島慶子氏の連載が、教育社会学者の本田由紀先生との対談で、そこでは「柔軟な専門性」がキーワードとして取り上げられている。
専門性を身につけ、その使い方を日々モニタリングし、さらに時にはそれらを捨てて、またゼロから別の専門性を身につける・・・そんな「学び続けざるをえない社会」像が垣間見える。冒頭にも述べたが、「他人や先輩と同じ」という長く根付いたラクな方法が否定され、教育投資とリスクが増大し、リターンは不透明という意味で、「学び続けざるをえない社会」像が見えてくる。ウラを返せば、「ワクワク」というような形容詞で表現される社会像かもしれないが、常に主体性とコスト計算、投資を要求されるという意味では負担感は高い。それでも、学び続けるか、労働市場からの退出かという選択肢ならば、前者を選ぶほかないような気もする。
奇しくも正午のニュースが、東芝が不正会計で今期の決算を公開できないというニュースを報じている。およそ15年前にも、山一證券、北海道拓殖銀行等々、当時の安定企業が相次いで破綻したことがあった。そのときでさえまだ日本の企業社会にはまだ余裕がある気がしたものだし、「生涯学習」という言葉も流行で幕を閉じた。さて、今回も、いっときの流行り病で済むものなのかどうか・・・

2015年6月25日木曜日

Mitsubishi Galant Fortis Sportback Ralliart

Nishida, Ryosukeさん(@ryosukenishida)が投稿した写真 -

車重が重たいので基本どの速度域でも燃費が良くないですが・・・

2015年6月23日火曜日

「データ駆動型政治――『人』から『データ』へ: 情報化が切り開く『新たな理性』と感情的動員」東浩紀監修『角川インターネット講座 (12) 開かれる国家 境界なき時代の法と政治』


東浩紀さん監修の角川インターネット講座に、寄稿しました。カタい論文というよりは、最近の問題意識を、散文調にまとめています。ぼくの仕事のなかではちょっと変わったタイプになると思います。五野井さんや白田先生、面識はないのですが、新自由主義的で、独特の経済観がクセになる経済小説家の橘玲氏なども寄稿されています(ぼくも愛読しています)。6月は休みがなくて、週末も定例研究会があったりで、早くも夏バテ感が否めませんが、こうして冬のあいだに仕込んだ仕事が幾つか公開されていきます。

なおinstagramの書籍タイトルが間違えているのはご愛嬌、ということで。

西田亮介,2015,「データ駆動型政治――『人』から『データ』へ: 情報化が切り開く『新たな理性』と感情的動員」東浩紀監修『角川インターネット講座 (12) 開かれる国家 境界なき時代の法と政治』角川学芸出版,169-90.


2015年6月22日月曜日

第二弾『若年無業者白書』を出版したい!

認定NPO法人育て上げネット理事長の工藤啓さんが、クラウドファンディング挑戦中です。お題は、「第二弾『若年無業者白書』を出版したい!」。昨年、『若年無業者白書』を作成し、若年無業者の生活実態に間する知見を明らかにし、のちの『無業社会』につながる成果となりました。今回も、再びご一緒させていただく、予定です。ぜひ、よろしくお願いします。

https://readyfor.jp/projects/sdn

2015年6月20日土曜日

7/15 WED 20:00〜22:00 門脇耕三×西田亮介 「 「シェア」って、建築や政治、愛や制度とどう関係があるのですか?」 『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』(LIXIL出版)刊行記念

 上記のイベントで、建築家の門脇耕三さんと対談します。もうすぐ告知があるかと思いますが、門脇さんが編者の『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』(LIXIL出版)という書籍に原稿を寄せたことがきっかけです。これまでも実は何度か大学や自治体の企画などで、門脇さんとご一緒したことがあるのですが、一般向けに対談するのはおそらくはじめてで楽しみです。詳しくは、以下のB&Bのサイトなどから。

http://bookandbeer.com/blog/event/20150715_bt/



2015年6月19日金曜日

「共感」型記事は新聞紙面に必要か――「18歳選挙権」の記事を事例に

新聞紙面に、新聞離れが進む若年世代の取り込みなどを目的に「共感」型記事を目にすることがある。ここでいう「共感」型記事とは、書き手である記者の属性や個性を全面に出し、読者の共感をいざなうような記事のことである。
事例があったほうがイメージしやすいと思うので、まさに昨日の紙面を例に挙げてみたい。
一昨日、選挙の資格年齢を従来の20歳から18歳に引き下げる、いわゆる「18歳選挙権」が成立した。
それを受けた、朝日新聞の6月18日付朝刊は、1面の真ん中に「18歳になる あなたへ」という記事を配置している。
そこでは、いわゆる重鎮の記者が、自身のキャリアを含むバックグラウンドを明示しながら、以下のように記している。
政治ってなんだ? 憲法、安保って?と身構える必要はない。迷った時はみんなで話をしよう。
(中略)
制服やジャージー姿のみなさんが、投票所で一票を投じている。そんな光景を見ることができる来年がたまらなく待ち遠しい。
これは著名なコラム欄「天声人語」ではない。社会の公器といわれてきた新聞紙面の、しかも1面の特設記事である。なお同日付けの「天声人語」にも、同じような語調で、同じ主題を扱っている。
一票をポケットに入れることは、未来を選び、国や地方のあり方を決める権利を持つこと。臆せず、白けず、社会とかかわってほしい
これらの(半分、寝惚けた)メッセージは誰に向けて、誰の共感を呼ぶために書かれて、その目的は達せられたのだろうか?
これらのことは確かに感情的にはわからなくはないが、いちいち新聞に上から目線でいわれなくてはならないものなのだろうか。
「天声人語」は定番モノなのでさておくとして、一面の真ん中でこのような、なんら新情報を含まないエッセイを展開されても、まともな現役世代なら白けるだけではないか。新情報が含まれていないなら、ネットの速報で良いし、最近はプッシュ通知で、ニュースアプリから重要なニュースは速報で送られてくる。新聞よりよほど速い。新聞紙面を代表する1面が、とくにそれらのニュースと比べて新情報を含まないなら、なおさら現役世代は新聞紙面を読もうと思わないのではないか。
朝日新聞社の名誉のために断っておくと、この主題を1面に持ってきたこと、また他の記事で制度変更の解説なども行われていたことは付け加えておきたい。
新聞紙面に求められているのは、情報が溢れている時代だからこそ、情報を取捨選択して、複雑性を縮減し、ときに批判しながら、「適切に」新情報を伝えられることではないか。ちらと耳にするところによれば、こうした「共感」型記事は、意図的に書かれているとも聞く。しかし、紙面で「共感」を呼ぼうとして出てきているのは、重鎮級の、男性の、おそらくは内容からしても年長世代である。内実はあまりに旧態依然としていて、これで、なぜ、新聞の新しい読者の共感や、新読者の開拓が可能と考えられるのだろうか。
この問題の反面教師として、今は姿を消した、まさに同社が手がけていた総合雑誌『論座』の晩年を振り返ってみればよいと思う。若年世代の論壇離れを危惧して、判型を小さくしてみたり、カラフルにしてみたり、若年世代の論者を発掘したりと、いまの新聞紙面と同様の「試行錯誤」に、2000年代前半に取り組んだ。その「成果」は、推して知るべしである。特段、新しく若者の支持を得ることなく休刊したまま、現在に至る。この教訓は、同社だからこそ活かしたほうがよいのではないか。
果たして、「共感」型記事は必要か?また共感を呼ぶのだろうか。

2015年6月18日に東京MX『モーニングクロス』 #クロス に出演しました。

2015年6月18日に東京MX『モーニングクロス』 #クロス に出演しました。早朝生放送なので、大変です。

国際公共経済学会次世代研究部会第3回夏季合宿「八事会議」のご案内

2015年9月5日(土)6日(日)の2日間、中京大学八事キャンパスにて、国際公共経済学会次世代研究部会第3回夏季合宿「八事会議」を開催します。夏季合宿は2013年度より、若手研究者を中心に研究交流を促進し、議論を深めるために開催しています。非会員の参加も受け付けております。本文末尾の応募方法を参照のうえ、ご参加下さい。

基調講演には、名古屋大学大学院法学研究科教授の田村哲樹先生をお願いすることになりました。

※実行委員長:吉野裕介(中京大学経済学部准教授)

スケジュール案
−−−
■9月5日(土)
14時30分〜15時 参加者自己紹介+事務連絡等

15時〜17時頃 田村哲樹先生基調講演(題目未定)+討論者(成原慧)コメント+議論

懇親会

(宿泊は各自手配)

■9月6日(日)10時〜12時 13時〜15時
(研究報告を午前と午後2セッションを予定)

・参加希望の方は、下記①②の方法でご応募下さい。

・学会非会員の参加を歓迎します。ただし学会員優先、応募者多数等の場合には抽選を実施します。

・開催教室、タイムテーブル等詳細は、確定した参加者の方にご連絡するとともに、学会Webにもアップします。

①参加のみの方:7月末日中までに氏名・所属・連絡先(TEL・メール)を記載の上、両日参加か否かをあわせて次世代研究部会のメールアドレス(jisedai@ciriec.com)に送付。

②報告を希望される方:上記の情報に加え、7月末日までに発表テーマおよびA4 で1枚程度のサマリーを次世代研究部会のメールアドレス(jisedai@ciriec.com)に送付する。なお、時間の制約上、応募者多数の場合等には選抜を行う。

2015年6月16日火曜日

国際公共経済学会情報社会と政策形成研究会のFacebookページを作成しました。

理事を務めている国際公共経済学会の、情報社会と政策形成研究会のFacebookページを作成しました。定例研究会やイベントの告知に用います。現在、9月5日6日に中京大学八事キャンパスで開催する夏季合宿の参加者を募集中です。非会員の参加、報告も可能です。

https://www.facebook.com/infosociopolicy/

2015年6月15日月曜日

「18歳選挙権」導入の背後に隠れた供託金引き下げ、被選挙権の引き下げの議論を棚卸しせよ

18歳への投票年齢引き下げ(いわゆる「18歳選挙権」)の成立が眼前に迫っている。
成人年齢引き下げ焦点 18歳選挙権17日にも成立:日本経済新聞
ここでも幾度かにわたって、この問題を取り上げてきた。
ネット選挙の「理念なき解禁」と同じ轍を踏まない18歳選挙権の導入と実践を(西田亮介)- Y!ニュース
「若者が投票に行かないから、若者向け政策が実現できない」という政治家を信用するな。(西田亮介)- Y!ニュース
社会に政治を理解し、判断するための総合的な「道具立て」を提供せよ――文部省『民主主義』を読んで(西田亮介)- Y!ニュース
詳しくは上記のエントリを読んで欲しいが、ごく簡潔に要約すると、直近では、この「改革」の影響力は、18歳、19歳人口約240万票を、全国の選挙区で希釈した(除した)票数に投票率を掛けあわせた票数に限定される。この数は、そもそもの母数が、たとえば団塊世代でいえば、1歳相当分の票数にとどまる。政治に直接影響を与えるのは投票「率」ではなく、投票「数」であり、従来の20歳代の若年世代の政治への関心を向上させることもうまくいっていいないうえに、なぜ今回の制度変更で、突如として、この世代の政治に対する関心を向上させられると考えられるのか根拠がまったく見えない。そのうえで若年世代の投票率は、団塊世代の2分の1程度で推移している。その背景には、日本社会には、政治を理解し、判断を下す「道具立て」≒「フレームワーク」の形成機会が乏しいという課題が存在すること、ただし、それらを時間の獲得競争が激しく、また政治的中立が要請される初等中等教育のプログラムのなかに、模擬投票といったかたちで付け加えるだけでは全く不十分で、むしろメディアのコンテンツの形式と態度変容のほうが日本の場合ポテンシャルがあるのではないかといったことを指摘してきた。
18歳選挙権をめぐる動向は、事前に大きな期待を集めながら、今のところ選挙結果の大勢に顕著なインパクトを観察できないネット選挙運動の解禁過程とその後の顛末と実に良く似た様相を呈している。これまでに『第三文明』7月号の拙稿「本質的な問題の解決が若者の政治参加を促す」などでも論じたが、ネット選挙や18歳選挙権といった派手な「改革」に注目が集まる一方で、古くからその課題が指摘されてきた、そしてより本質的な課題であるはずの改革供託金引き下げ、被選挙権の引き下げの議論はすっかり鳴りを潜めてしまっている。
供託金は、立候補にあたって事前に準備しなければならず、一定の得票に至らなかった場合没収されてしまい、たとえば国政選挙の選挙区や知事選では300万円、市区議会議員選挙でも30万円が求められる。一般に、若年世代のほうが資産形成が遅れており、「失われた20年」とデフレ下ではその傾向はいっそう強まっていると考えられる。またIPUが指摘するように、日本の下院(衆院相当)の国会議員に占める女性議員の割合は9.5%で、世界155位に該当している。
若年世代や女性の政治参加促進を、本当に積極的に進めるなら、何歳までを若年世代に含めるか、また公平性に関する議論が必要だが、若年世代と女性については、供託金を大きく減免するといった方法も考えられる。またアイドルを使った投票促進なども行われるが、同世代の立候補者の登場は政治に対する親和性や共感を改善すると考えられる。そうであるなら、現在の投票年齢は20歳に対して、衆院被選挙権25歳以上、参院30歳以上、知事選30歳以上という非対称性も改善するということも十分考えられるはずだ。
現職議員にとって影響が乏しく、それでいて「改革」のように見える規制改革は着々と進む。それはそれで否定されるべきものではないが、より本質的な供託金引き下げ、被選挙権の引き下げ等の議論も再度棚卸しすべき時期なのではないか。

共同通信社「識者評論「若い世代と政治」 学ぶべき戦後直後の試み 「無音」選挙に思う」



Nishida, Ryosukeさん(@ryosukenishida)が投稿した写真 -
しばらく前に、共同通信社のオピニオン「識者評論」というコーナーを執筆させていただいました。先日、所要で共同通信社を訪れたときに、担当の方に、実際の掲載誌をざっととりまとめたものをいただきました。よく知られているとおり、通信社の原稿を実際に掲載するのは、各地方紙やブロック紙なわけですが、こうやって並べてみると、見出しが工夫されていたり、一緒に並べる人の論調などによっていろいろと工夫されていることが分かりますね。

西田亮介,2015,「識者評論「若い世代と政治」 学ぶべき戦後直後の試み 「無音」選挙に思う」(共同通信社2015年5月15日配信原稿).

2015年6月14日日曜日

自治体戦略広報広聴の課題と展望


自治体の戦略広報広聴に関するメモ書きを作成しました。

来週木曜日6月18日に、東京MX『モーニングクロス』に出ます #クロス

先月はじめて、おじゃました来週木曜日6月18日に、東京MX『モーニングクロス』に出ます。メインが堀潤さん、脊山アナがSFCの先輩で、というなかなか居心地がよい一方、朝からガチな意見やコメントが求められる他に類を見ない番組です。早起きが得意な方はぜひ。

2015年6月12日金曜日

【SYNODOS】地方創生アイデア会議――これからの「地方」には何が求められるのか/木下斉×西田亮介×荻上チキ

今年の年始にTBSラジオ「Session 22」に、木下斉さんと一緒に出演したときの文字起こしが公開されました。一昨日、某社編集者氏と再開し「地域本の企画は生きてますから」とだけ、さらりとおっしゃっていただき、冷や汗をかく展開などもあったり。頑張らなくては・・・

【SYNODOS】地方創生アイデア会議――これからの「地方」には何が求められるのか/木下斉×西田亮介×荻上チキ
http://synodos.jp/society/14326

2015年6月11日木曜日

東さんと宇野重規先生とご一緒しました。

ゲンロンカフェに東さんと、宇野重規先生のイベントを見に行ってきました。むろん、宇野先生のお仕事は、よく存じ上げていて、これまでも勉強させていただいてきたのでした。また宇野先生に、以前拙著の書評を読売新聞にいただいたり、一度研究会でお目にかかり、お話を伺う機会もありました。東さんはいうまでもなく大変お世話になってきていて、そのお二人が対談されるということで伺ったのでした。イベントの後半、東さんがトイレに言っている間に、つなぎで登壇し、結局その後小一時間参加させていただくという望外の機会でした。たまには、他人の話を聞きにいくと良いことがあるということを学びました。

2015年6月10日水曜日

本質的な問題の解決が若者の政治参加を促す




『第三文明』誌の今月号に、18歳選挙権に関するインタビューを収録してもらいました。宮川先生らのインタビューもありますね。ぼくの問題意識は、教育に一コマ追加するのは容易ではなく、一コマを追加したとしても、そのコマを巡った既存科目の充実と、最近ならば起業家教育等の新しい科目の熾烈な競合があり、十分に質量を割くことはできない。したがって日本では、政治と民主主義の普及啓蒙は、社会とメディアを中心に、というものです。さて、このような問題意識に基くと・・・、というのが原稿の話。なおお約束ですが、ぼくは無宗教無信心ですので、よろしくお願いします。無宗教無信心であることと、他人の信仰を尊重することはまったく相反するものでもありませんしね。

西田亮介,2015,「本質的な問題の解決が若者の政治参加を促す」『第三文明』667: 23-5.







2015年6月9日火曜日

『脱ニート』プログラム体験して抱いた違和感」

Nishida, Ryosukeさん(@ryosukenishida)が投稿した写真 -
『AERA』の先週発売号に、日ごろ、お世話になっている、若年無業者支援を行う認定NPO法人育て上げネットさんでの体験受講の短いコラムを書きました。編集部が付けたタイトルでは「違和感」となっていますが、どちらかというと、目からウロコ体験と、それまでデータや知識として知っていたことが経験的に腑に落ちることが多かったですね。本当は5万字ほどの詳細なフィールドノートをつけているので、ちゃんと何かしらのかたちで成果にしたいところ・・・ちょうど「無業社会」の続編の手掛かりとなる論文を書いているので、そのあたりにも反映できればよいのですが。

西田亮介,2015,「『脱ニート』プログラム体験して抱いた違和感」『AERA』1511: 55.




2015年6月8日月曜日

「大阪都構想の可能性をいまこそ考える――なぜ橋下は敗れたのか」@ゲンロンカフェ資料


西田亮介,2015,「大阪都構想の可能性をいまこそ考える――なぜ橋下は敗れたのか」(2015年6月5日@ゲンロンカフェ).
先日のゲンロンカフェでのイベントで使おうと思っていた資料です。あまり具体的な話で展開できず、資料もほとんど言及しない、説明しない部分が大半という感じだったので、アップしておきます。

2015年6月4日木曜日

洗練された、古くて新しい未来観――『マッドマックス 怒りのデス・ロード』



試写の案内をもらったので、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観てきた。映画は大衆娯楽の作品がいい。ビジネスとして将来の存続は難しいのかもしれないが、巨大スクリーンで、強化された重低音と、最近では3Dグラス。家庭ではなかなか難しいエンタテイメント体験だからだ。

最近、ようやくリーマン・ショックの呪縛から離れたのか、それともTwitterで教えてもらったように、中国、インドマネーの流入やネット番組向けに新しい資本投下が行われているからか、大きな予算をかけたエンタテイメント作品が相次いでいる。ターミネーターしかり、スター・ウォーズしかり。本作もそのひとつだ。

フォード・ファルコンのV8の重低音、爆発、銃砲。テクノロジーが進化したこともあり、かつてのジョージ・ミラーとメル・ギブソンによる同名シリーズの比ではない。圧倒的な臨場感と迫力がある。

ストーリー自体も、オマージュ(というか、監督はジョージ・ミラー本人だ)は見られるが、世界観を踏襲しているといったほうが良いのではないか。すでにかつてのシリーズ後半のストーリーはうるおぼえになっていて思い出せないが、それらを観ていなくてもまったく問題なく楽しめる。

だが、観たことがあろうがなかろうが、どことなく随所に懐かしさを感じるのではないか。そもそも最近はエコカーやグリーンテクノロジーが全盛の時代。V8は時代の趨勢に反している。石油が枯渇した核戦争後の世界、BGMのメタルやカーチェイスというシーンもそうだ。最新のモチーフなら、テロとテロ戦争、EDM,AIやロボットとの競争あたりが該当するのではないか。

テクノロジーにブーストされ、臨場感や迫力は圧倒的に増したが、洗練された、古くて新しい未来観に覆い尽くされている。車の比喩で言えば、最新の日産スカイラインが、ダウンサイジングターボで、燃費と馬力を維持、向上させながらも、エンジン音をサウンドチューンしているのと似ている。

おそらくは意図的なものだろう。それらは快適で、実に良質のエンターテイメントの構成要素だ。かつて往年の名車トヨタ、セリカにノーマルで乗っていた知人がいた。故障や設備面で現代車に及ぶべくもない。とはいえ、圧倒的な雰囲気を誇っていたのも事実だ。しかし快適さと同時に「そこそこの雰囲気」を求める多くの現代の顧客は、ダウンサイジングターボとサウンドチューンが両方のニーズをそこそこ満足させるということになるだろう。

その意味で、ジョージ・ミラーとメル・ギブソンの出世作となった、かつてのシリーズとはまったく意味合いが違う。最近の作品でいえば、『チャッピー』などが該当するのではないか。荒削りだが、ユニークなビジョンを提示する(とはいえ、『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』的ではあった)。とはいえ、すでに大ベテランとなったジョージ・ミラーが放つ良質なエンタテイメントである。かつてのシリーズも、再度見たくなった。

公式サイトはこちら→
http://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuryroad/

2014年度京都精華大学集中講義「マーケティング論」の授業評価

昨年の集中講義の授業評価でした。今年は8月末に実施ですので、京都精華大学の皆さんはよろしくお願いします。直近の、京都での最後の仕事になるはずです。

2015年6月3日水曜日

Beach, Chiba

Nishida, Ryosukeさん(@ryosukenishida)が投稿した写真 -



先週の某日。

2015年6月2日火曜日

2015年6月12日付けのYahoo!個人のアクセスランキング総合1位を獲得しました。



下記エントリが、2015年6月12日付けのYahoo!個人のアクセスランキング総合1位を獲得しました。これまでカテゴリ別ではトップになったことがありましたが、総合でははじめてだと思います。「働き方」という主題が、多くの人の最大公約数的な関心を引く主題なので、みなさんが一度はクリックしてみたということでしょうか。そして2位が盟友工藤啓さんのエントリじゃないですか。大変奇遇です。何はともあれ、参加しているゲームで1位を獲得するというのはそれなりに意味があることですから、良かったです。

4、50代になってから買い叩かれないように、能力向上に努めたい。たとえ勤務先が終身雇用でも。(西田亮介) - Y!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryosukenishida/20150531-00046196/

2015年6月1日月曜日

4、50代になってから買い叩かれないように、能力向上に努めたい。たとえ勤務先が終身雇用でも。

先日、都内に無数に存在する、電源を貸してくれ、珈琲のあとにお茶が出ることでよく知られる喫茶店チェーンで原稿を書いていた。不思議なことに、原稿書きに愛用しているこのチェーンでは、宗教、押し売り、保険から始まるありとあらゆる勧誘、マルチ商法を目にし、社会の恐ろしさと、「美味しい話」を疑うことなく、ほいほい契約する人々を何度も目撃して震撼してきた。その日は30代と思しき男女2人組の転職エージェントらしき人物が、ずっと転職希望者の面接を行っていた。
そもそも喫茶店のようなセミオープンな空間で本来それなりにセンシティブであるはずの転職の話を提案された時点で、そのエージェントを使う気はちょっとしないが、それでも次から次へと4、50代の中高年の男性が面接にやってくる。実際、否が応でも話がちらちら耳に入ってきてしまう。最初は景気が底を打ったといわれているから、人手不足で転職市場も活性化しているのかとも思えたが、どうやらそれほど単純なものでもないようで、大変暗い気持ちになった。
奇妙なことに、転職を希望し、自己PRの場に立っているはずの、男性たちの弁は実によく似ていた。「人の気持ちを考えながら、サービスを作ってきた」「チームを支えるのが得意」「システムの保守点検をずっとやってきた」。共通するのは、その具体性の乏しさである。来る人来る人、良い年どころか、4、50代で働き盛りで、大手有名企業に勤めていた人物ばかりのようだった。そうであるにもかかわらず、驚くほど共通したのが、それまでのキャリアで培ってきたスキルと成果について、具体性のある話ができずにいたことである。
バブル世代前後のそこそこ人口ボリュームが多く、また景気のあまり良くなかった時代の世代で、部下なし管理職だったりしたのかもしれない。あるいは、自己PRなど就職活動以来で、キャリアについて時系列に起きたこととその成否を語るのではなく、後から振り返ってストーリーにするといった発想もないのかもしれない。
「これでは、仮に彼らが有能で、スキルの高い人物だったとしても、採用する積極的理由に欠くなあ」などと漠然と思っていたが、市場は遥かに残酷だった。最初黙って、時折頷きながら話を聞いてていた2人組の――そして面接を受けている人たちより一回り以上若い――、転職エージェントらは畳み掛けるように、マーケティングや最近のIT技術やサービスの動向について、大量にカタカナが入った言葉を用いて、にこやかに問いかけはじめたのだ。
明らかに被面接者たちは会話についていけていなかった。しどろもどろになったり、戸惑いの表情を浮かべながら、曖昧な返事をするに留まっていた。こうしたやりとりが一定時間続いたあとで、溜息とともにエージェントたちが判決のように繰り出すのは、「残念ですが、現状の水準を維持するのは難しいと思います。それでよろしければ、幾つかご紹介できる案件があります。今日判断するのは難しいと思いますので、またいつでもご連絡ください。珈琲のお代は結構です」という文言である。
これがテンプレートだと気付いたのは、このパターンが隣席で何度も何度も繰り返されたからである。カタカナ語が使えるかどうかが重要なのではない。おそらくはその業界の最新の動向をフォローしているか否か、そういったものをフォローしようという感度を持っているかどうかを見ていたのだろう。それらをフォローできていないということを白日のもとに露呈させることで、諸条件がとても現在のものを維持できないことを納得というか、力づくで合意させていたといってもよい。4、50代の男性たちは、完全に買い叩かれていた。
1997年に破綻した山一證券の企業整理を担い、最後まで同社に残った人たちと周辺の人々を描いた、清武英利氏の名著『しんがり 山一證券 最後の12人』(講談社)や、2000年代末~2012年頃にかけての三洋電機の再編を描いた大西康之氏の『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』(日経BP社)のなかに、終身雇用を前提とした企業を追われた人たちの壮絶なその後が描かれている。山一證券から20年弱、三洋電機から約5年の歳月が経過したが、これがそれらの書籍で描かれていた現実なのかと思った。
それなりに役割があった人々が無残に値切られていく様を見てそれなりに暗澹たる気持ちになった。が、これも現実の1つの側面なのだろう。日本生産性本部が公開した『2015 年度新入社員春の意識調査』は、年功重視の給与体系と昇格制度を希望する人の割合が過去最大になったことを伝えている。若年世代もまた日本型雇用を懐古しているようにも読める。日本型雇用システムや終身雇用制、年功序列型賃金は興味深いし、歴史的には十分にその役割は評価できるが、どうも取り戻せる気配はまったくしない。終身雇用だと思っていた企業の底が抜けているといったケースもありそうだ。政治に目を向けるとき、確かにこうした社会や企業のあり方を批判することも重要だが、リスクを評価し、マネジメントしていく必要もあるのではないか。
時折、仕事で院生や学部生のキャリア観を耳にする。単線的なキャリア観の人が多い印象を持っている(「~業界に行きたいです」)。だが、新卒一括採用のレールに乗っている時点で、すでに最初の値踏みのまな板に乗っている。誤解のないように急ぎ付け加えると、これは「就活するな」とか「新卒一括採用はムダだ」いうメッセージではない。そもそも、22歳頃に、具体的に自分のスキルと成果のポートフォリオを組めているというのはあまり現実的とも思えないし、筆者にもそんなものがあったわけではない。しかし、それでも企業が人材に投資し潜在的能力を、企業に適した形で開発するということを前提に、値段が付いている(採用され、給料が決まる)。このことが、先行世代と同じレールの端緒にいるということを意味しているという点に注目したい。漫然としているならば、メリットのみならずデメリットをも繰り返す可能性は十分あるだろう。日本型雇用の寿命はどれほどだろうか。それに比べると、人生のほうが長そうだ。第1志望の企業、業界に行けようが行けまいが、終身雇用の会社に決まろうが決まるまいが、極端なことをいえば正規だろうが非正規だろうが、長い射程と日々の砂を噛むような努力を組み合わせて、それぞれの道を切り開いて歩いて欲しい、などということを漠然と考えた。